足下から畳の匂いがしてきます。静かな雨の日もいいものです。
「五風十雨」。
漢籍の月令に見られる言葉で、五日目毎に風が吹き、十日目毎に雨が降る。農作に都合がよい気候であり、世の中が平穏無事の例えといわれます。
こんな日は、同じ雨音を聞いたであろう古代の人々に思いを馳せたくなってきます。
「天人相応」なんて、この科学の時代には不要じゃないかと、科学万能を信じるの方には思われることでしょう。
しかし、天からの影響力を直に受けた時代の人々の言葉は、私の体の深い部分に浸透してくるのです。観察力や統計学だけではなく、特に心のあり方と天の関わりに心酔しています。
大阪のミナミに心斎橋があります。これは、長堀運河を掘った時に岡田心斎さんが渡した木造橋が初代だったそうです。
この「心斎」というお名前を付けられた親の教養はいかなるものだったのでしょう。江戸時代の教養の高さはさすがです。
『荘子』の「人間世篇」に孔子が弟子の顔回に“心斎”の意味を教える場面が出てきます。
顔回が「私は貧しい暮らしをしていますから、酒も飲まず贅沢な食事もしていません」と言ったところ、孔子が「それは心斎ではない。心を空っぽにすることが心斎である」と応えます。
君子は斎戒につとめ気を鎮めることによって、波立つ陰陽を安定に向かわせるお役目があるとのこと。
音を立てず、享楽せず、粗食でもって身を潔斎することを、実行しておればこそのお姿になられるのですね。
折しも、今日は昭和天皇のお誕生日です。昭和天皇に可愛がられた今上天皇は皇居宮殿で静かにお慎みなさっていることと拝察いたします。ありがたいことです。
三世代同居
「あなたのゆめは何ですか?」という宿題のプリントが放ってあったので思わず読んでしまいました。
幼稚園の先生、ペットショップの人、動物園の人と書いた後に、孫が()で括って付け足しのように書いている部分に笑ってしまいました。
(ニュースの人になりたい り由はおばあちゃんが「なってね」「やくそくだよ」というからです)
こんなこと言ったかな? でも、言われた本人は律儀に覚えていて、自分の夢じゃないけれど“約束”だからと書き足したのでしょう。
こういうなんでもない日常が三世代で住むことの楽しさです。
我が子を育てるのは責任があって真剣さがかえって溝を作ったりするものですが、一世代離れた孫なら一緒に居ても気楽です。好き勝手なことを言い合えるのが同居の楽しみです。
先日も一人のおばあちゃんに笑わせてもらいました。
彼女は足腰が痛くて、家でもつい愚痴ってしまわれるようです。
「 薬が効いているかどうかなんて、目に見えんから
わからん。年とったら鈍くなってますますわから
ん。
それで、『痛い痛い』というと息子が怒る。けど、
『あんたもそうなるんや!』と言うたら、『俺はなら
ん』と 言いよる。
だから、孫に『あんたのお父ちゃんもそうなるんや
で。お父ちゃんがそうなったときには、おばあちゃ
んいうてたで、と言うてやってや』と頼んである」
お話を始めた時には顔を強ばらせていたのに、最後にはしてやったりの表情を見せて戻っていかれました。大阪人ならではのユーモアを聞かせてもらいました。
この人も三世代家族。息子さんとの関係がギクシャクしても孫が居てくれることでほのぼのしたものになっていることを感じました。
“おばあちゃんと孫”という親子でもない、他人でもない関係を経験できることはありがたいことです。
私が高校生のころ、NHK朝のテレビ小説「信子とおばあちゃん」(獅子文六原作)が放映されていました。
そのテーマ音楽の穏やかなこと。右肩上がりの忙しい時代だったのに、時の流れが緩やかであったように思わせるメロディーです。
昭和っぽくて喜怒哀楽がグチャグチャに詰まって整理のつかない家族はなくなったのでしょうか。ひょっとすると、整理上手の当世人の家族は形もスマートになってしまったのでしょうか。それでいいんですけど。
信じること
病める者にとって同じ病から回復した体験談ほど効く薬はありません。
膝が痛くて、もう手術しかないのかしらと表情を曇らせた方が来店されました。処方薬は痛み止めの貼り薬と頓服だけです。
「いやいや、そんな。手術したら、その分、また自分の体に負担かけますしね。ところで、いつから始まった痛みなのですか?」
「去年の11月から。」
「ええっ。そりゃまだまだですよ。私も長い間、痛かったけど、ほら、今は跪くこともできるようになったのですよ。」
「ほんとに?」
「ほんとうですよ。時間はかかるけど、必ず自分の体が治してくれますよ」
「わぁ、元気出ました。ありがとうございます。」
こんな、会話ができる方なら絶対治るはずです。
話を信じてくださったかどうかの証は、明るくなった表情とトーンのはね上がった声に現れています。彼女が帰り道で、痛みに耐えかねて元の木阿弥に返らないことを祈りながら、見送ったことでした。
健康優良児の私も膝の痛みは経験しました。
それは、父が入院したと知らせを受けた日のことでした。病院の帰りに膝の違和感を感じました。痛みをこらえて動き回っていたのですが、よりにもよって京都の四条通でいよいよ動けなくなって、娘に迎えにきてもらう羽目になりました。
それから今日に至るまで、早や十年です。
痛み解消に一番効果があったのは、氷で膝を冷やすことでした。家に帰り着くやいなや、毎日毎日冷やしました。
炎症で熱を持っているのですから、冷やすことは理に適っています。膝に水が溜まるといいますが、膝に水を集めて冷やそうとしているというふうにも考えられます。
とはいえ、仕事は休めないから連日働いていました。これが、良かったのだと今になって思います。少しずつリハビリをしていたのでしょう。
どうしても痛い時だけ、薬に頼るのも一つの手ではありますが、忘れてはいけないことは、不具合が生じた体を治すのは自分であるということです。医療は治してくれるのではなく、手助けをしてくれるのです。
体の声を聞いて自助努力すること。薬を信じるのではなく、自分の身体を信じることが何よりも大切なことだ思っています。
草抜きという修行
遠くに見える山のパッチワークの色合いが日々変化しています。常緑樹の濃い緑と赤い若葉、落葉樹の新芽の若緑色。ところどころ山藤の紫色が配色されて、青葉の季節に向かって模様替えの真っ最中です。
自然の中では、育つべきは育つという厳しくも美しい掟に従って共存共栄がなされています。
当たり前ですが、人為的に植えた庭木は成長できないケースがあります。ここじゃない、と拒否サインを出すのです。
例えば椿は植木屋さんも難儀する木です。住宅街の狭い風通しの悪い庭では、虫が付いて、ちょっとでも触れるとアレルギー症状を起こしてしまいます。
ところが、山に生えている椿に虫被害など聞きませんから、自然に生えているのではなくて、自分の居場所を自分で選んで生えていることが分かります。生きる場所を決めることは、植物にとっても人と同様にいのちに直結する最大事なのですね。
さて、去年からお願いしていた庭の剪定作業がようやく済んで、朝日が眩しくなりました。風通しがよくなった庭は、小学生の孫でさえ「気持ちいい」と言ってくれます。たとえ狭い場所であってもスッキリさせておくことが邪を遠ざけることになると、明るくなった空間が教えてくれています。
そのあと、昨日は、娘家族ががんばって草を刈ってくれたおかげで、今朝は草の匂いが庭中に漂っています。
子供の頃、母に命じられて草抜きをしていました。言われて渋々していたので、良い匂いと感じる余裕さえありませんでした。
つらいお手伝いでしたが、道元禅師の「日常生活すべてが修行である」という言葉を知ってからは、草抜きは最高の禅だと思うようになりました。草を抜くという孤独な作業が奥深い禅であり、自分の仏性を磨くことになるならと、もくもくと雑草を抜くことが苦ではなくなったのです。今でも、草を抜く度に道元禅師が寄り添ってくださるように感じます。
一本も残さず抜くようにと厳しく言う母がいなくなった庭は草刈り機で刈られて広々しています。そこには、叱られながら抜いていた頃を懐かしみながら草の匂いを嗅いでいる自分がいます。
悪者仕立て
仲の悪い姉妹がいました。ある時、兄が結婚する事に。姉妹は急に接近して、兄嫁いびりを始めましたとさ。
誰かを悪者扱いすることで、鬱憤晴らしをするという手段は、人間社会の悪癖です。
近頃は、コロナの登場でマスコミ上げて政治が悪いと連呼しています。誰かを悪者にして、自分たちが正しいことにするならまだしも、一般人の心を誘導しようとするところが許せないと思っています。
その人の庭に美しく咲いた赤い薔薇を一輪切って、隣の背中が曲がったお婆さんに差し上げている男性を見かけました。お婆さんが所望されたようで「あんまりきれいやったから」と感謝の言葉に添えておられました。
また、目の前に二匹の白い蝶々が飛んできたその時、後ろから自転車で追い抜かしざまに蝶々たちに手を伸ばした男性。その遊び心に拍手です。
この人たちの地に足のついた日常に比べて、何とお粗末なテレビ、新聞、ラジオ。市井の人々は、マスコミの言葉に疲れ果てていることを、当事者は気づいておられるのでしょうか。いや、その制作者もお疲れが溜まって、広い心、大きな心を忘れてしまわれたのかもしれません。
この事態は誰が悪いのでもありません。
その正体さえわからないのに、悪者を無理やり作って、挙げ句の果てには、収束したら責任云々とは何と情のない人達なのでしょう。
言いたくても言えないこともあるかもしれない。それが、今の時期の情けある判断ということも無きにしもあらずではありませんか。そのように互いが思い合うことが、人情を繋ぐことになるのではないでしょうか。
悪者作りは、そのうち天に見放されます。すさんだ報道を目にする度に悲しくなってきます。
でもね、私が心配しなくても、心ある多くの日本人はお見通しですよ。毎日を丹精込めて生きておられます。
一人一人のその生き様が収束に向かうただ一つの方法だとみんなが知っています。
からたちの花
「からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。
からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。」
からたちの花の様子はこの詩に尽きます。五連目の、泣いたこと、優しかったことがからたちのイメージをより鮮明にしてくれます。
からたちは中国、長江上流原産で”唐橘“(カラタチバナ)からなまったといわれています。
出会いを待ち望んでも、会えるかどうかは時の運。それは人でも花でも同じことです。ちょっと油断していたら、楽しみにしていた近くのからたちの生け垣は花の時期が過ぎていました。それでも数輪、今年のからたちが写真に収められたらことはラッキーなことでした。
からたちのトゲの鋭さに比べて、花の繊細な姿はどうでしょう。この芳香をアゲハチョウが好むというのもなにやらドラマチックです。
からたちは枳殻として、生薬に使われ、その性味は苦、酸、微寒で芳香性の健胃に役立ちます。柑橘系のスッとする良い香りが胃の熱を冷ましてくれます。
さてさて、京都駅から北に歩くと「枳殻邸」という名庭園があります。枳殻で囲まれていたから、この名前で呼ばれていたと、昔乗ったタクシーの運転手さんに教えてもらいました。それ以来、この静かな雰囲気が好きで、京都駅に降り立つ時は必ず訪れるお気に入りです。
その庭園を後にして、子供時分よく遊んだ懐かしい七条から京阪電車で出町柳まで行って、豆餅を買うため並びます。6月が近づいたら“水無月”をまた買いにきますね。
もう一度、京阪電車で四条まで戻って、お殿様の個展を拝見いたしましょう。お殿様と思しき方がいらしたら目が合わないようにしなくちゃね。ドキドキします。
お殿様とは細川護煕元首相のことです。去年上梓した拙著にお殿様の作品のことを書きましたので、お贈りしたところ、お礼状をいただいてしまいました。あぁ、もったいない、もったいないことでございました。
そんなお殿様の個展。是が非でも行きたいのに緊急事態宣言発令下では・・泣く泣くこのような心旅に留めて今日を過ごしています。
オンリーワンの弁当
「私なんか定規が折れたんやから」と娘。
「箸が(刺さって)立つんやで」と息子。
悪うございました。子ども達が集まると、いつも私が作ったお弁当の話にひとしきり花が咲いて盛り上がります。
なぜ、定規が折れるのか。それはできたてホヤホヤのうちに蓋をするからです。お弁当箱の中が陰圧になって開かず、それを何とか開けようと蓋と本体の間に定規を押し込んで定規がポキッと折れてしまったという笑い話。それは、みんなの気持ちが一つになる楽しい話題です。
近頃の方はできたお弁当を冷蔵庫に入れて冷ましてから蓋をされると聞きます。完璧なお母様が多くなりました。
それに比べればなんといい加減なお弁当を作っていたのかと思うのですが、一つ弁解させてもらうなら、すべてその日の朝の手作りだということです。
お腹が満たされることだけ考えて、見た目は二の次でした。美しくデザインされたキャラ弁とは程遠いというか、美的観念の欠片もない弁当を持たした母を許して下さい。
今も、朝のルーティンは弁当つくり。
小さなお弁当の献立ですが、これを起きて直ぐに考えるのは何よりの頭の体操になります。お料理は創造です。三口コンロをフル回転させて、煮物、茹でる、炒める、揚げる、の順序と組み合わせが上手くできた日はちょっと自己満足したりして。
お腹を満たすことが一番の目標になってしまったのは、やはり幼児体験から始まっているのでしょう。
焼け出された者同士の結婚でしたから、両親は食に飢えていました。子供たちに美味しいものをお腹いっぱいに食べさせて育てることが、彼らの最優先の念願でした。
私達世代は大概がこのような親の願いの元に育ったのではないでしょうか。
今でも時折思い出すのは、中学生のとき、野球部の顧問をされていた国語の先生が、授業中に「腹が割れるほど食べろ」と部員を激励されていたことです。
「運動部って大変、それほど食べないとだめなんだ」と呆れたように聞いていた運動音痴の私ですが、今思えば、先生も飢えを体験されたお一人でいらしたのでしょう。
でもね、おかげで、私達は美味しいものをいっぱい食べて大きくなりました。それなりにベロの感覚も身についたと思っています。
決してオシャレではなく、あくまでもお腹を満たすことが一番のお弁当。それは、私一代の味ではなく、父母の養いと、もっというなら祖母の台所仕事の流れを汲む我が家のオンリーワン弁当なのです。