こころあそびの記

日常に小さな感動を

羊雲

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 私のようになんとかサボろうという考えの人間はべつにして、お掃除は毎日していても、どこか抜けているところがあったりするものです。
 今朝も、出勤前にお参りに行った神社。秋の大祭が近いこともあって、紫色の幕など張り巡らされて綺麗に調えられ、歴史あるお宮さんらしくなって嬉しく思っていました。
 丁度、本殿の扉をあけてくださる宮司さんに出あったので、
 「おはようございます。あのー、あの額を受ける布団が傷んでいるのですが・・・」
 「どこですか?」
 「あの額の下です」
 「あれっ、気付かなかったなあ。随分長い間気にかけもしなかった」
 よかった。ずっと気になっていたのです。これで、一安心。次に来るときは、きれいになってますようにと、少しの喜捨をしてまいりました。

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 そんな朝の空は、羊雲の群れの向こうに青い空が透けて見えていました。
 行ったこともないのに、なぜかモンゴルの草原の情景が浮かびました。
 白鵬関の引退のニュースが流れた直後だったからでしょうか。彼はモンゴルの英雄です。
 
 「南船北馬」といいます。
 中国は南は赤壁の戦いで知られるように揚子江という大河を船で操れる者の国です。
 反対に、北は大平原を移動できる馬の文化です。
 大移動など想像もできずにいましたが、中国ドラマを観るとたびたび荒涼とした砂漠や平原が出てきます。そこを馬で駆け回るシーン。もちろん、鞍も付けずにです。 
 何度も観ているうちに、騎馬民族のイメージが掴めるようになりました。
 中国の歴代の王朝で漢民族国家はごく少数です。常に北方民族に襲われ続けます。最後の王朝、清も満州族という北の民族の国です。
 ひょっとすると、今のモンゴルにもそんな闘争心が残っているかもしれません。
 モンゴル相撲、弓、競馬。強そうなお国柄です。馬に跨がって、右にも、左にも放つことができたら名人だそうです。なるほど難しそうです。
 遮るもののない大地から上る太陽を拝んでみたい。
 新月の日の満天の星空を仰いでみたい。
 自然の中で深呼吸してみたい。
 
 羊雲の隙間から見える奥深い空からそんなモンゴルを思う朝でした

形を見る、書く。そして、話す。

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 英会話教室にも通ったし、中国語をラジオ、テレビでかじってはみましたが、才能がないので、やっぱり母国語に回帰してしまいます。
 なんといっても、その懐の広さが日本語の長所です。
 日本人は島国根性とかいって、世間狭いイメージを植え付けられていますが、そんなことはありません。
 例えば、新聞の夕刊を一目見ただけで、漢字、平仮名、片仮名、が駆使されています。
 当たり前に思って使っていますが、これは、本当はすごいことではないでしょうか。
 「エッセイ」今頃は随筆とは聞かなくなりました。
 「ファンタジー」幻想的で空想的な超自然現象の・・・
余計にわからなくなってきました。
 「ゲーマー」コンピューターゲームの愛好家なんですって。トランプや人生ゲームじゃだめなのですね。
 チラッと見た誌面に散らばる片仮名言葉は、原産国を出て日本に辿り着いた途端に、日本語に同化してしまうところが、日本のパワーです。
 一時、訳の分からない横文字が問題になったことがありました。あれは何だったのでしょう。言葉の獲得に貪欲な日本人は横文字を片仮名にして、あっという間に使いこなしてしまっていることのほうに驚くべきかと思います。
 朝刊に、韓国が英語をどのように翻訳しているかというお話が載っていました。
 とうに漢字を遣わなくなっている彼の国なのに、まず、「センシャルハラスメント」という英語を「性戯弄」と漢字に翻訳して、それを韓国語読み「ソンヒロン」と言ってるそうです。漢字を経由していることもしらずに韓国語読みだけが通用しているそうです。
 日本人は省略化の才能あり!ですから横文字を上手に「セクハラ」と短縮して使っています。
 これは、片仮名という表音文字があったからできたことです。多彩な文字があることは心丈夫なことです。
 
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 こんな時代になると、次々に横文字が流入してきます。若い人はそのまま使えることでしょうから、もう少ししたら、漢字、平仮名、片仮名に加えて、アルファベットも新聞紙面に入ってくるかもしれません。
 そうしたら、新聞は横書きにせざるを得なくて、それはそれで、また、年寄りにはちょっとした抵抗があるかもしれません。
 そんな時代の移り変わりにビクともしないのが、中国語です。
 中国の外来語の翻訳能力はすごいです。さずがに、漢字発祥の国の実力は恐るべしです。
 「特朗普总统」と表記してトランプ大統領
 「迷你裙」と書いてミニスカート。
 漢字の意味ではなく音を利用しているようです。
 音は、韻を踏むという漢詩の作法にあるように、中国では長い歴史の中で大切にされてきました。
 その文化を受け継いだ日本でも同じです。
 「舌頭に千転せよ」
 昔、作文教室の先生に、書いた文章を声を出してスラスラ読めたらそれでよしと教えられました。
 『声で楽しむ 美しい日本の詩』(大岡信谷川俊太郎編)を書き写しては読み上げています。

緑の山々がもたらすもの

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 キッチンに、家人が菜園から採ってきたピーマンが転がっていました。
 なんと瑞々しい赤い色でしょう。
 過日、田中修先生のお声がラジオから流れてきて、またまた楽しく聞かせてもらいました。
 視聴者の子供からの質問に、「赤いピーマンは食べられるのですか?」というものがありまして、先生のお答えは私も初めて知ることばかりでした。
 ピーマンは子供たちに嫌われることの多い野菜です。それもそのはずで、緑色の間はまだ食べないでねというサインだそうです。まだ、種も熟してないから食べられたくない。だから、あの青臭い苦い味にして実を守っているとはなんと賢い種の保存の知恵でしょう。
 そして、赤くなったピーマンは完熟した証拠ですから、栄養も豊富で味も甘くして、誰かに食べてもらう準備が完了したことを示しています。さぁ、どうぞどこへでも連れて行ってと。
 植物は動けないのではなく、動かない選択をしたといわれます。動かずに、動くものを利用する術を考え抜いて命を繋いでいます。
 同じように、苦味で身を守ったつもりなのに夏野菜としてもてはやされている野菜にゴーヤがあります。赤く熟したら美味しくなるから、もうちょっと待ってよ!と叫んでいるかもしれません。

 
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 熟したら大方の植物は赤色に変色します。暖色系は食欲をそそる色であり、食べてもらうために考案した色です。反対に寒色系の青色のテーブルマットはは食欲を減退させるといいます。
 赤い色は太陽や燃える火、そして、身体に流れる血を連想します。中国の仙人が延命長寿をねがって服薬した丹薬も水銀の赤い色でした。
 赤い色は興奮の色。血湧き肉踊る、元気が出る色です。

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 赤い色はパワーを発散させます。青い色は鎮静の色。では、その中間の緑色はどのような効果があるのでしょう。プラスでもマイナスでもない癒やしや安らぎの色です。
 樹木の癒やしは姿だけでも大きさだけでもないことが分かります。国土の八割が山林で、緑色に囲まれて過ごしている日本民族が穏やかであるといわれることと、どこかで繋がっているのかもしれません。
 ところで、なぜ葉っぱは緑色なのでしょう。これも、田中修先生が答えておられました。
 光合成を行う葉緑素可視光線のうち、赤色と青色を吸収してエネルギーに変えているといいます。
 結果、余った緑色を反射しているから、私達の目には緑色の葉っぱと映るそうです。
 私達は今のところ二酸化炭素の削減に行き詰まっています。植物の光合成による炭酸ガスの取り込みを真似ることもできず、頭を抱えています。
 植物の葉っぱや人間の体内で起こっていることは、謎だらけです。科学万能とは言い切れない。小宇宙と呼ばれるだけのことはある世界です。

古びない『荘子』

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 クサギの花が色づいてきたので、写真を撮ろうと近づいたら、大きな蛾のような昆虫が花から花へ飛び移ってお食事中でした。
 先日、蜂の巣を撃退したばかりで、もしやスズメバチかと後ずさり。早速、Googleフォトで検索したらオオスカシバ(大透翅)という蛾の仲間でした。
 見たこともない昆虫が我が家の庭にいつのまにか住み着いていることを知って驚いています。
 子ども達は先に庭で見かけていたようで、「飼おうよ」なんて無謀なことを言い出す始末で困っています。
しかし、羽が透明で、太っちょな体は美しい色をしている上に、人懐こいとくればそんな気持ちも分からないではないのですが・・

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 今日は数ヶ月ぶりに『荘子』の勉強会に行ってまいりました。
 京都からいらした方があって、どうして?京都なら中国哲学は盛んではないのですか?とお尋ねしたら、『荘子』はどこもやってないとのお答えでした。
 としたら、なんと幸せな巡り合わせに自分が置かれていることか。なんでも、渦中に入ってしまえば、その有り難さが見えなくなるとは情けないことですが、本当だと改めて感謝した次第です。

 『荘子』の魅力はすべてを語り尽くさない、曖昧さかもしれません。簡単には掴ませないところがあります。
 分かる人には分かるし、分からない人には分からないということかもしれませんし、それでよいと本人も考えている伏があります。
 今日は、「斉物論(せいぶつろん)真宰(しんさい)」の講義でした。
 要は、この世を動かしているものがあっても、それは目に見えない。存在の断定はぼかされているけれど、多分、荘子自身は、そういうものがあるとつよく思っているのではないか。
 ある程度の人生の荒波を越えてくると、あれっ?これは自分の努力だったのか、それとも何かのお導きだったのだろうかと、なんとなしに見えないものを悟るようになってきます。
 神社で手を合わすとき、何か昔の血気盛んだったときの気持ちとは違う、全感謝の思いが深くなっているのは、誰かに助けてもらってここまで来たという実体験があるからでしょう。
 『荘子』はたとえ話で構成されていて、こうしなさい、ああしなさいはいっさいありません。まさに、自分の成長度で読み解く指南書です。
 
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 よく、努力のための努力は努力ではないといいます。無意識にしていることが努力になったなら、そのときそれを努力というと。
 しゃかりきに、がんばることは若人に与えられた特権です。老年期には何かに助けてもらったことを安らかに振り返る日々でありたいと願うのです。

“海”の中には「母」がある

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 海水浴客が繰り出した海も静かになった頃かと想像します。
「今はもう秋。誰もいない海」であっても、人は海を見に行きたいものです。この私も海が見たくなる人間です。
 大阪駅から山陽本線で、明石海峡を車窓に望むだけでも気分が入れ替わります。
 また、新大阪、天王寺からくろしお号に乗るのもいいですね。田辺あたりで停車して、車内に車掌さんの「右手の景色をお楽しみ下さい」という親切なアナウンスが流れます。また聞きたいな。
 そんな、瀬戸内海も太平洋も、今はおあずけです。
 コロナ禍が去ったあかつきには、一番に海を見に行きたいと目論んでいます。

 「 耳  ジャンコクトー作 堀口大学
   “私の耳は貝の殻
   海の響きを懐かしむ”」
 
 いつか浜辺で拾った巻き貝を耳に当てると海潮音が聞こえて来る。潮の音は生まれる前の懐かしさを思い出させます。聞けば、落ち着く音なのです。


 先日、リビングのテーブルの上に置いてあった孫のテストをこっそり盗み見しました。
 こちらは、二枚貝です。

 「 貝殻   新美南吉
 
 かなしきときは、
 貝殻鳴らそ。
 二つ合わせて息吹をこめて。
 静かに鳴らそ、
 貝がらを。

 誰もその音を
 きかずとも、
 風にかなしく消ゆるとも、
 せめてじぶんを
 あたためん。

 静かに鳴らそ
 貝がらを。」
 
 問い) あなたは、この詩を読んでどんな気持ちになりましたか?

 孫は、さみしい気持ちになりました。と書いていました。
 詩全体に広がる寂寥感。それは作者の心のさみしさから出てきた感情です。
 誰でも知っている童話。「手袋を買いに」「ごんぎつね」「赤いろうそく」などに流れる情緒的なストーリーは、難しくひねったものではなく、その素朴さが心に残ります。
 彼のこうだったらいいのにな~の気持ちは、母をなくしたさみしさを源流としているようです。

 もう一編。

 「 小さい秋見つけた  サトーハチロー作 
  誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた
  目かくし鬼さん手のなるほうへ
  すましたお耳にかすかにしみた
  呼んでる口笛もずの声
  小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた 」

 サトーハチローさんといえば、放蕩の限りを尽くしてもなお、この繊細さを失わなかった詩人の中の詩人です。
 そして、そのように荒れた理由はお母様を21歳のときに亡くしていることにあるようです。

 新美南吉サトウハチローに共通することは、母の喪失です。なぜか、男の子はお母さんが大好きです。
 男の子をお持ちのお母さん!絶対に元気で長生きしてあげてください。
 生きてあげることが、子供にとって最高の砦となるのです。
 時代は変わりました。わざわざ「かわいい子には旅をさせ」なくても、毎日がなんと変化に富むことでしょう。
 永遠の安心の港、お母さんがんばってください。

精神科医の腕の見せ所

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 こんな所に、と思う場所で棗を見つけました。思いもよらない出会いはうれしいものです。
 熟して真っ赤になったら、大棗。中国ではおやつ代わりに食べる生薬です。とても甘味が強いから、脾胃に効きます。胃腸が元気になれば補気力が増強できますから、多くの漢方薬や薬膳に使われています。
 良品ならば、煎じなくても齧って食べられるところが人気の理由です。秋になって、夏の疲れを感じる方にはおすすめです。

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 さて、本日は秋分の日。秋の彼岸の中日。
 
 家族が休日モードなので、自分の出勤を忘れそうになりました。危ない危ない。
 出勤先は、いつもの老人施設です。
 薬剤師がそこで何の仕事をしているのかを、少しお話ししてみたいと思います。
 一昔前までは、医療はお医者さまを頂点としたヒエラルキーで成り立つものでしたが、現在は医者、施設のスタッフ、ヘルパー、ナース、薬剤師などが輪になってチームで介護医療に取り組むように変わってきています。
 ですから、ドクターの施設往診日はそれらの関連従事者が付き添って、まるで、部長回診のようです。
 本人の状態や家族負担など、それぞれ事情は異なりますが、老人施設の入所者さんは、家での介護が難しくなった方が殆どです。
 診察の結果、薬が変更、追加なとがあれば、薬剤師が対応して、配薬カレンダーを処方通りに変更します。
 このような同行でいつも考えさせられることは、なんと薬剤師は役に立たない存在だろうということです。これから、薬剤師を目指す人には、法律改正をしてもらって、もっと働きがいを得られるように願っています。

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 閑話休題
 施設入所者にとって、何科の先生を必要とするシーンが多いと思われますか?
 勿論、循環器系の先生も大切ですが、落ち着いている高齢者なら薬を変更することはまずありません。
 それよりも、自分を見失って暴れる、暴言を吐く、徘徊する、失禁を撒き散らす。などの症状を調整する薬が必要になってきます。一人住まいならまだしも、団体生活である以上、迷惑がかからない程度の抑制が必要になるからです。
 これは、経験に基づく知識がなければできないことで、それができるのは精神科医なのです。
 患者さんへの対応が難しい精神科をなぜ選ばれたのかと、いつも疑問に思っていましたが、こんなところにやりがいがあったのですね。
 老人社会にこそ、必要だったのです。
 誰でもそうはなりたくない。けれども、長寿が担保されれば、損なわれるところが出てきて当然です。その悲しい現実をコントロールする精神科医を志望することは、敢えていばらの道を選択するようなものともいえます。
 同行させてもらう精神科医の見事な薬の使い方にいつも恐れ入るのです。

月とスッポン

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 昨晩は中秋の名月が流れる雲間から見え隠れして風情のあるお月見でした。
 でもね、私はそのまん丸よりもっとまん丸を見たのです、とちょっと自慢いたしましょう。月と地球と太陽が一直線に並ぶときを満月、月齢15というのですが、昨日は午前9時前にその現象があったそうですから、朝、4時台に眺めた西の空のお月様は、夜の満月よりも丸かった!
 それはさておき、皆様に見ていただきたいのは、満月の日から10日ほどの有明の月の美しさです。この世のものとは思えない輝きが宇宙に浮かんでいます。
 それに、今は、宵には夏の大三角、明け方には冬の大三角と二度美味しい季節でもあります。
 草花の名前を覚えると目が合うのが楽しくなるように、星も名前を知ると空を見上げたくなってきます。 
 そして、いつも思うのですが、大阪で良かった。星降る街なら、名前が覚えきれないですもの。一等星しか見えない効用もあるのです。


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 昨日、お便りのことに触れましたが、通勤途上、車の中でラジオを聴いていますと、ホッとする視聴者からのお便りを耳にすることがあります。
 なかでも、NHKの「ひるのいこい」のオープニングのお便りが卓越しています。そのように思うのは、私と同い年の長寿番組だから思い入れが強いだけかもしれませんが。
 あの古関裕而さん作曲のテーマ曲、郷愁を誘うメロディーに乗せてアナウンサーの方にゆったり読まれるお便りは、その情景が目に浮かぶ心地がします。
 なんでもない日常。柿が色づいた、夫が退院した、孫が歩き始めた、などなど。
 あの音楽でなければ、日本のお昼のとろんと和む感じは出ないと思っています。NHKさん、どうか、変えないで下さい。あれを聴くと、平和が目に見えるように感じるのです。
 
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 そうそう、昨日はそのお便りの件で中途半端に終わりましたが、以前、「こころ旅」にお手紙投稿しようかと迷ったことがありました。
 それは、体の弱かった次男が、高校に入って俄然、元気になって、自転車通学を始めたことです。電車代を節約したわけではなくて、自転車のほうが時間が節約できるからと、本人が選びました。要するに、数分でも寝たいという若者ならではの体の欲求に従ったようです。
 そんなことから、私は、正平さんがハーハーと坂道を上がる姿を見るたび、息子の三年間と重なるのです。
 人呼んでロマンチック街道という道があります。豊中箕面をつなぐ街道ですが、箕面に入る手前で急な登り坂になります。
 あのチビでひ弱な子供が、毎日毎日、上り下りした坂道。
 そこから先は、息子がどのルートで通っていたかは知らずじまいです。あの子が通ったルートで、正平さんが桜塚高校まで、自転車をこいで下さると、きっと涙が溢れてしまうことでしょう。
 因みに、息子も桜塚高校の同窓生です。