こころあそびの記

日常に小さな感動を

涼風の朝

 朝の空をキョロキョロ。見つけた!月齢25日の月が、上ってくる太陽に照らされていました。

 明日は探せるかな?来週月曜日には新月になっちゃう細いお月様です。

 森の中で見つけたのは、「滝の道ゆずるくん」。

 今日は21日。弘法大師の縁日です。

 どこにお参りしようかと迷いましたが、そうだ!滝の道の竜安寺にもいらしたと思い出し、今朝の散歩は滝道です。

 竜安寺の裏で、久しぶりに不動明王にお水をかけ、神変大菩薩に般若心経を奉唱して、弁天堂へ上がりました。

 本堂脇に、弁天さんなのに水の近くにおられないわけが書いてありました。

 役行者が祀ったところは滝の麓だったのですが、災害で流されたそうです。その後、お移りになった所が現在のお寺とか。

 時間がいっぱいあるって、幸せなことです。こんなことも一つずつ学べます。

 自分が若いときは、年寄りは物知りなのだと決めつけていました。それは、彼らが生きてきた時代の教育のおかげと考えていました。

 そうではないのですね。学校で教わらなかったことは、生きた分だけ見聞きして体得していったのでしょう。自分がその年になって合点がいくことの一つです。

 老人がいう”ありがたい“は、見えている“ありがたい”なのではないかと思ったりします。

 

 秋の花が来訪者を迎えてくれます。

 「滝の上に水現れて落ちにけり」

 水量の多かった今日はことさらこの句の情景を実感しました。こんなに素直で分かりやすい俳句を詠んだ後藤夜半さんに感謝いたします。

 ここに来るたびにそう思います。

稲盛和夫さんに教わったこと

 二十世紀の物質の時代から、二十一世紀は精神性に移行する、とは多くの書物や言動に見ることができる予言です。

 それはどんなことから始まるのかと訊かれたとき、説明できずにいましたが、昨夜見た『100年インタビュー 稲盛和夫』で、彼が一端を説明してくれました。

 「これからの100年で世界人口は100億人に達するでしょう。食糧問題。エネルギー問題。課題を克服して人類が生き延びれるかどうかは、利他の心に目覚められるかどうかにかかっています。」

 物を奪い合う欲望が幅を利かすばかりの心貧しいままでは、二十一世紀の困難を乗り越えることはできないとおっしゃっていました。

 みんなが分かち合う精神、利他の心を育てるという意識改革が必要です。しかしながら、それは改革ではなく、どの人の中にも奥の方に眠っている素晴らしい心根を目覚めさせるだけでよいのです。

 誰もが持っている優しさや譲り合いが二十一世紀を救うことになるなんて、思いも寄らない妙案です。

 

 

 稲盛和夫さんは先月お亡くなりなりました。

 先日、高千穂を案内してくださったタクシードライバーの方が、前日にこの放送を観られたようで、その感想を車内でとうとうと話して下さったことです。

 私も初回放送を見た記憶がありました。著書も何冊か拝読していましたので、彼の言わんとするところはよく分かりました。

 日本じゅうに感動を置いていかれた稲盛和夫さん。

 今月号の『致知』に載せられたエッセイに、稲盛さんの小学生時代の同級生が執筆されています。

 題名は「忘れ得ぬ面構え 我が友稲盛和夫君の思い出」です。

 どんな面構えだと思いますか?

 それは、負けず嫌いで正義感の強かった稲盛さんを表していました。

 給料の遅配が続く会社から、独立を果たすまでのど根性物語は、彼の生来の負けず嫌いがあってのことだったと拝察できます。

 そして、ただの負けず嫌いに終わらず、経営という道に踏み出したときに考えに考えて見つけた光明が「利他」でした。

 

 

 インタビューを受ける83歳の稲盛和夫さんは、小学生時代のお友達の印象に残った「強い面構え」からは想像できない柔和なお顔で、稲盛さんの到達した境地を表しています。

 ご苦労を乗り越え、持ち前の負けず嫌いを生かして社会貢献された姿から、人は成長していけることを身をもって示してくださったように感じます。

 できて当たり前の人ではなく、熱い気持ちで生き抜かれたお人柄に多くの人の称賛が集まっています。

旅の余韻

 綾町。高千穂。

 台風十四号の暴風雨がこないだ訪れたばかりの町を襲っています。

 写真は一週間ほど前の五ヶ瀬川。延岡から高千穂に向かう道に沿って流れています。今はどうなっていることかと、テレビの情報画面に出続けている二つの町に祈ることしかできずにいます。

 帰ってきたばかりだからか、高千穂の印象が消えません。「自分の故郷だと思って、何度でも来て下さい」という地元の方の言葉が、私の中で育ちつつあります。

 人はひとりひとり違う故郷を持っています。

 そんな個々人の故郷とは別に、日本に生まれたことの意味を考えるとき、高千穂は大きな力を持っているように思えます。

 

 

 

 高千穂は天孫降臨の場所。

 混沌とした氏族の争いの世界に降りてこられたニニギノミコトは、稲作を教えます。

 その後、ニニギノミコトの曾孫である神武天皇は東に向かい、奈良の橿原で即位されることになります。

 なぜ、神武天皇が奈良を選んだのかは、高千穂を歩いてみると感じるところがありました。それは、稲作に適した穏やかさを持つという共通点にあるのではないでしょうか。

 倭健命の詠まれた歌。

 「倭は国のまほろ

   たたなづく青垣

   山籠もれる倭し麗し」

 奈良の飛鳥に似た鎮まりと、山に囲まれた場所が高千穂でした。

 

 その山の一つにニニギノミコトが降臨された、くしふる峰があります。

 「筑紫の日向の高千穂の

   くしふるたけに天降りましき」

 降臨されたお山に是非足をお運び下さい。神様に選ばれた神々しいところです。

 

 宮崎市内の小高い丘の上、平和台公園に『八紘一宇』の巨大な石像がありました。

 神武天皇が、

 「六合を兼ねて都を開き

   八紘をおおいて宇にせむ

   (それぞれの文化や宗教を大事に             しながらおたがいに尊敬しあ  

    う)」

と、宣言された言葉から取ったものだそうです。

 

 天皇のことを”すめらみこと“と申しますが、“すめろぎ”とは、糸にたくさんの玉を通してこれを一つの輪にまとめたという意味があるそうです。

 戦時中には、別の思惑に利用されたこともあったようですが、今は本来の意味を称えて聳えています。

 

 個性や生き方がまるで違っていても、なぜか神の前に拝すときには心鎮まるのが、日本に生まれた人の自然な心持ちではないでしょうか。

 「真の日本人こそ真の国際人」。

 出光佐三さんの言葉が21世紀にはますます通用しそうです。

 神道の国に生まれたありがたさを雨と風の音の中で感じています。どうか、かの地に被害の少ないことを念じながら。

大丈夫、ほら見ていて~♪

 お彼岸は来週だけど、お墓参りに行ってきました。

 旧西国街道を真っ直ぐ東に歩いた所にありますから、道すがら、稲穂の揺れる様を見たり、青面金剛にお参りしたりして寄り道が楽しい行程です。

 

 帰ってきて、台風情報を見ようとテレビを付けたら、NHK『のど自慢』が放送されていました。チャンネルを変えようかとリモコンを取ったとき写ったのが三浦大知さんでした。

 

 先日の朝、台所で洗い物していた私に、中学生の孫が「三浦大知っていいよな」と言って後ろを通り過ぎていきました。

 丁度そのとき、『チムドンドン』のオープニング曲が流れていたのです。

 孫に高評価される三浦大知さんとはどんな人なのか、そのときから興味をもつことになりました。

 今日の『のど自慢』で、ゲストとして歌う曲は、もちろん『燦燦』でした。

 さらっと歌える曲ではありません。相当に歌い込まれて声に表情をもたせておられます。その上で、心を込めて自信を持って提供されていることは、真摯に歌う姿から察せられました。

 この歌は、昨年亡くなったおばあちゃんに書いたお手紙という形で作られたそうです。

 大知さんがいかにおばあちゃん子だったかがしのばれます。反対に、おばあちゃんがどれほど孫を無条件で愛したかが分かる歌詞になっています。

 出だしの声の出し方が難しいのですが、練習すれば、これぞ名曲であることが分かってきます。

 おばあちゃんと孫。遠くて近い関係です。

 二番の歌詞に、

 「あなたが信じてくれたように

   どんな日々もどんな意味も

   繋がっている」

 三番の歌詞に、

 「裸足のまま生き抜くから

   見守っていて」

 こうした甘えた言い方も孫とおばあちゃんだから、言い合えるのかもしれません。

 親とやり合ったあとでも、おばあちゃんの写真に向かってなら本心で甘えて泣き言をぶつけられる。そういう関係です。

 

 そのとき、聞こえてくるのは、

 『大丈夫。ほら見ていて』。

 おばあちゃんが見ていてくれるから、自分の信じた道を行くことができる。

 

 私もいつかは写真の中のおばあちゃん。孫たちの応援団長として、いつまでもエールを送ってやりたいなと思っています。

つつがなしや

 あけぼの。刻々と変わっていく雲の色が、太陽が上ってきていることを感じさせます。

 見ているだけでエネルギーが伝わってきて、今日一日の健康が約束ができそうに思える朝でした。

 朝刊を開いたら、「薬剤耐性菌」の記事が大きく取り上げられていました。

 抗生物質は、人類に大きな貢献を果たしてきました。

 ペニシリンの登場がどれほど人々を助けたことでしょう。

 かく言う私も幼い頃は、扁桃腺炎を度々発症しました。抗生物質なしにはここまで元気に成長できなかったことでしょう。

 

 どんなことも、行き詰まりが出現するのは仕方ないことです。現実社会にある物は永遠の存在は難しいことでしょう。

 

 人々が安易に抗生物質を使ったために、耐性菌が出現。人類は細菌との新しい戦いを始めなくてはならなくなっていると報じられています。

 その一つに「バクテリオファージ」があるそうです。一つ一つしらみつぶしに調べるか、発想の転換か。

 科学者の研究は果てしのないものと頭が下がります。

 ところで、そんな抗生物質とも関係のある身近な話題を二つ。

 一つ目は、「マダニ」です。

 その餌食になった方からのお話です。

 箕面の山にもいますから、どなたも知っておいたほうが良い情報です。

 ある人は、なんとへその穴に入り込んでいたのたとか。入浴時にも気づかず経過して、発見が遅れたために腹部の変色に加えて、一年間くらい体調不良が続いたと云います。 

 二つ目は、恙虫です。

 小学唱歌『ふるさと』の二番に出てきます。

 「いかにいます父母

   つつがなしや友がき

   雨に風につけても

   思いいずる故郷」

 ここで歌われている意味は「元気に過ごしていますか」という、お手紙の安否伺いと同じです。

 かつては、東北の風土病だったそうですが、今は全国で年間数百人の発生が報告されています。

 皮膚の柔らかいところに噛みついて、周辺のリンパ節を腫脹させます。

 覚えのない発熱、発疹があって、ダニの刺し口を見つけたときは、できるだけ早くテトラサイクリン系抗生物質の投与が必要です。

 遅れると、命を落とすツツガムシ病であることを知っておきましょう。

 

 

 これからの好シーズン。ハイキングから帰ったら、シャワーではなく、必ず入浴して体を点検いたしましょう。

 野山に入るとき、心がけたい注意点を教えてもらったので、マダニ経験者の私も実践したいと思っています。

思いは叶う

 今朝も下弦の月が浮かんでいました。おばあさんがキョロキョロしている様は、異様な光景でしょう。変な人と。

 でもね、ちゃんと上半分に太陽が当たっている宙のドラマを想像するにつけ、その壮大さが胸に広がる思いがするのです。

 地上を忘れるひとときです。

 雲一つない晴天には文句のつけようがないのですが、雲があるから詩心も生まれます。

 

 枕草子の「春はあけぼの~紫だちたる雲の細くたなびきたる」しかり。

 佐々木信綱の「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」もしかり。

 雲があるから、情景に奥行きが出ます。

 

 そうは言っても、文学的なセンスは持ち合わせておりませんので、空の上から見てきたことをご報告したいと思います。

 

 先日の宮崎行きは、朝一番の飛行機で伊丹をたちました。

 飛行機に乗ることは、なんと人をドリーマーにするのでしょう。初めて乗る子どものように窓にしがみついて外を見ました。

 樹氷のような雲が乱立する平原は、アラスカのようでしたし、かなとこ雲の上限が、きれいに揃っている様は、1万メートルの境はあそこにあることを教えています。完全に子ども心になりきって、はしゃいだことです。

 

 外国へ飛ぶときには、1万メートル上空を飛びますから、すべての雲は眼下に見えます。

 しかし、先日の宮崎行き国内線では、5000メートルあたりを飛行していたのではないでしょうか。

 なぜなら、上にも下にも雲があったからです。上層雲は絹雲、下に見えるのは、綿雲たちです。雲に挟まれて中空を飛んでいる面白さを体験しました。

 

 ところで、以前、雲の写真集を見たとき分からない言葉が出てきました。高い山の上か飛行機からなら見られると書いてあったので、自分には縁がないと諦めていたのが、「地球影」です。

 

 それを、探したわけではありませんが、九州の方角(西)の水平線に暗い帯が見えました。

 素人考えで、あぁ、あそこはまだ夜で、今から明けていくところなのだろうと、地球の回転の不思議さに思いを深くした瞬間でした。

 

 

 帰ってきて調べたら、それが「地球影」だったのです。感激!

 私には無理と思ってたことが、叶えられたのです。こんなうれしいことはありません。

 人は生きている間、一つでも二つでも心に思ったことを叶えることができる。その体験談をお伝えしたくて記しました。

自然を友として

 

 いつまでも甘やかしてはいけないと思い、今朝は、歩いて出勤しました。

 観察の眼を開くと、そこには何か発見があります。

 この年になってお恥ずかしいことですが、幼稚園児の「先生、見つけたよ」レベルのことがうれしくてたまりません。

 自然はアピールしてくることはありませんし、気づいてくれることを待ってるわけでもありません。

 ただ、自分が気に入った場所でそっといのちを繋いでいます。

 それを、垣間見せてもらうだけで元気がもらえるのはなぜでしょう。

 自然をお友達にできたなら、さびしさなんて感じる暇もないのです。

 満月から五日。有明の月が、朝の空に浮かんでいます。日の出とともに透けるように薄くなっていきます。それでも、お寝坊の人のために、しばらくは浮かんで待ってくれています。

 グッドなタイミングでカワウが羽根を広げているところに遭遇しました。

 朝ご飯がすんで、朝の風を羽根に通しているのでしょう。食欲の秋。カワウさん、食べすぎないでくださいね。

 葛の花。なんて美しいグラデーションなのでしょう。色を生業にする方の心を捉える花ではないでしょうか。

 根っこを引っこ抜いて食してみようなんて、考えも及ばない美しさです。

 でも、可食部分は根っこだけではなくて、お花も甘くて美味しいそうで、天ぷらにして食べる人もあるとか。

 そうと聞けば、摘んでみたいけど、川床に生えているので、ちょっと無理。自己防衛対策も完璧な植物たちです。

 コロナ禍で解熱剤ばかりか、葛根湯まで品薄になっています。

 美しい紫色の花の根っこに、人助けの効能があると誰が知りましょう。

 動物が掘り返していたのを見たのでしょうか。

 『神農本草経』を纏めた神農さんとは、読んで字のごとく、神様でした。本当に必要なものは、必要な時に、天から授けられるといわれますが、私もそう信じている一人です。

 先日のタクシーの運転手さんが、“大谷は神様”と言ってはばかりなかったのですが、今の若い世代には、見るからに邪気のない人が多いように感じます。

 昭和コテコテの人種とは明らかに違います。

 新人類による新しい時代が開かれようとしています。

 2025関西万博のテーマソングは、もう聴かれましたか?

 コブクロの『この地球(ほし)の続きを』。まだの方は是非聴いてみてください。

 「子どもたちが変えてゆく

   この地球のつづきを~♪」