こころあそびの記

日常に小さな感動を

帰ってしまいました

 

 韓国からの交換留学生が帰ってしまいました。

 お手伝いらしいことは何もできず、見てるだけでしたのに、やれやれという安堵感の一方で、空の巣になったさびしさに襲われています。

 

 

 日本でやりたかったこと、行きたかったところなど、当初の目的は果たせたでしょうか。

 

 日曜日の昨日は、ホストファミリーがお世話する日でした。

 まずは、行きたい場所に案内です。  

 娘家族が引率して、大阪見物に出かけていきました。

 

 阿倍野ハルカスからスタート。お天気がよかったこともあって、高さ300mからの眺望に満足してもらえたようで、推薦した私としては、嬉しいことでした。

 話が逸れますが、娘たちは、ハルカス完成直後に、私の父と一緒に上がったことがありました。それは、父の最晩年の喜び事で、娘たちにもしっかり刷り込まれた思い出でした。ですから、昨日の報告話の端々に父が登場したのは、言うまでもありません。

 ということは、雲の上の父も、近くに孫たちが上ってきたのを見てくれたかな。ワイワイが好きな彼のことですから、なんやなんやと、喜んでくれたことでしょう。

 

 さて、次は、彼ら旅行者が大阪で絶対外せない場所、聖地です。

 それは「グリコの看板」。 

 昼間に行って写真も撮ったのに、暗くなってネオンが灯ってから、もう一度行って、大喜びして写真を撮りまくったといいます。

 何に惹かれてるの?

 一昔前は、グリコ走者の周りに放射状にネオンが広がっていたんです。順々に電気が灯っていくのは、それなりに面白かったから、子ども心に覚えています。ですが、今は灯っているだけです。

 しかも、他にも看板はあるのです。それでも、ピンポイントでグリコに大興奮する魅力が分からない私はピンぼけ婆さん?

 その看板に寿命がきた何年か前、電気代の負担が大きく、グリコさん側の意向で、取り外し案が取り沙汰されたことがありました。

 それから何十年。今や、大阪一の名物です。旅行者に大人気であることは、市民の小さな自慢ですから、どうか、存続の方向でお願いいたします。

 

 

 最後はお土産物です。

 隣国人なのに、他の国の人と同じように日本語、漢字、武士道をお土産にしたがることにびっくりしました。

 日本語が書いてあるトレーナーをゲットして、早速着てご披露とは微笑ましい限りです。

 そんなことなら、漢字を手放さなけりゃよかったのに、と、かの国の事情も知らずに思ったことでした。

 

 

 その後、帰宅して、我が家でファミリーお別れ会をしました。

 その時点で叶っていない希望が2つありました。

 それは、豚骨ラーメンと日本の温泉でした。

 ラーメンは諦めてもらって、お風呂だけでもと、深夜営業している所に連れていったみたいです。

 露天風呂、岩風呂が彼らの日本のお風呂のイメージらしいです。

 寒中の、しかも夜中に、日韓の高校一年生の男子達がキャーキャーと露天風呂で夜空に声を響かせて遊んでる。なんて平和な図柄でしょう。

 

 

 今朝、別れ際に、「あとから読んでください」と恥ずかしそうに、お辞儀してメッセージカードを娘に渡す様子がまた別れをつらくしたことでした。

 漢字、平仮名混じりの日本語が、きれいに並んでいました。

 「おかげさまで」にもびっくりしましたが、「もらうだけのものが多すぎてすみませんが本当にありがとうございました」には、感服しました。

 こちらこそ、よい子に来ていただけて、本当に楽しい思い出ができましたよ~

 

 どの子も本当にいい子ばかりでした。

 すれてなくて、子どもの初々しさやあどけなさが残っている。というよりは、まだ、そのままという感じがしました。

 他人を見ることで自分が気づいていない自分が見えるというのでしょうか、韓国の若者の過ぎた美しさに考えさせられることもありました。

 もっと笑って、もっと怒って、もっと泣いて。といっても伝わらないもどかしさがあるのは、歴史、文化の違いでしょう。

 それは、日本人の舌が微妙な味わいを解せることに似ています。感情においても多感であり、そこが日本人のユニークさなのだとあらためて知ることになりました。

 彼らのおかげで、不思議の国、日本への愛を深くした5日間でした。

デヴィ夫人、ウクライナに行く

 

 見かけない蕾を見つけました。

 「ロドレイア」。中国雲南省原産で中国名は「紅花荷」というそうです。花はしゃくなげにに似ているので、シャクヤクモドキとも呼ばれますが、マンサク科だけに、赤い万作という感じの花です。

 春浅い日に咲き始めるとありますから、そろそろ蕾の中の準備も最終段階を迎えていることでしょう。

 週末の立春が楽しみになってきました。

 

 

 数日来、デヴィ夫人ウクライナ訪問が世間を賑わしています。

 否定的な意見もありますが、間違ってはいけないのは、彼女は民間人ではないということです。

 民間人が、売名行為で行くのとは、違うのです。

 行くに当たって、あちらの政治家に電話を入れて、困り事は何かと尋ねた上での決行です。

 もちろん、身辺警護のための人員も付けて、あちらのご迷惑にならないよう配慮されていました。

 

 ここぞというときの頼もしい支援の仕方にも学ぶべきものがありました。

 ウクライナの冬のために、日本国中から集まったカイロは山積みで倉庫に保管されたままになっていました。

 なぜなら、千円分のカイロを送るのに、三万円かかるからです。たくさんの民間の好意はストップしたままだったのです。

 それを、今回、デヴィ夫人はカイロだけでなく必要な支援物資をコンテナ数台で送ったといいます。

 もちろん、その到着を待てない人のために持参もされました。なんと豪気な。

 

 

 

 彼女に関して、本当はどんな人なんだろうという疑問がついて回ります。

 今回も、そんな声を聞きました。

 

 そこで、実際に見た、会ったではなく、見た印象をお話ししたいと思います。

 今は廃業してしまった太閤園で、数年前にデヴィ夫人の講演会がありまして、ミーハー根性で行ってきました。

 冒頭、真っ赤なドレスを纏った彼女は、「あなた方は、私が毎日、世界中に旅行して、美味しいお料理を食べて、着飾って楽しそうな生活をしていると思っているでしょう。」と切り出されました。

 「私はひとの三倍努力しています。睡眠時間は二、三時間です。」と。

 インドネシア語、英語、フランス語と外国語を次々と、ものにされること一つとっても、その努力のほどは尋常でないと分かります。

 

 また、イッテQ!に出演して、あのお年では無謀と思えるチャレンジを重ねるのも、自分を停滞させない努力の一環であるようです。

 

 巷で、「やる気、勇気、元気」といわれる三つの元気印は彼女にぴったりです。

 常に前へ前へ。

 徹底した負けず嫌いの性格と、あの美貌は神様からの贈り物。

 何かを成すために生まれてきたという使命感も、女性の限度を越えているようにお見受けします。

 

 

 太閤園の講演会に行ってから、数日間は自分自身、ハイテンションが続いたように記憶しています。

 出会った人に「やる気、勇気、元気」を分けてあげることができるところが、さすがデヴィ夫人と思わせるところです。

 新しい世界を切り開いた女性として、若い人に背中を見せているかと思いきや、「イモトがライバル」だなんて、まだまだ負けてはおられません。

六花亭ホワイトチョコレート

 

 

 昨夕のこと。三日月の下に木星が、その下に金星が浮かんでいるところに遭遇。

 あと数十分で沈むと思えば、追っかけたくなる素人天文家です。

 子供じゃあるまいに、西の方に歩けば、もっとうまく撮れるかもと、欲を出したことが空にばれたのか、その後、空は一転、いつの間にやら、全天雪雲に覆われてしまいました。

 

 

 ほうほうの体で家に帰り着いたものの、強風とみぞれで冷えた体は、ストーブでもこたつでも温めるのに時間を要したことでした。

 

 

 こたつに足を突っ込んでうつらうつらして、ふと目が覚めたら、BSで『山と原野とスケッチと~日高山脈と生きた画家・坂本直行~』を放映中でした。

 この方が魅せられたという日高山脈は、東側の街、十勝から見ると一直線に南北に帯のように連なっています。

 あれっ?これって、『鶴瓶の家族に乾杯』でも見たことのある景色だというところで、完全に目が覚めました。

 そうでした。鶴瓶さんが訪ねたお家の玄関に飾られていた写真そのものです。 

 その家のご夫婦は、この一直線に並ぶ日高山脈に一目惚れして、十勝に移住してきたと、話されていたように記憶しています。

 南北に150キロ続く山脈。しかも、その前には十勝の原野が広がっています。

 今回の放送で初めて知った坂本直行画伯は開拓農民としてこの地に入植されたそうです。

 山が好きで好きで、北大の山岳部で北海道の山は殆ど制覇されたとか。

 彼には、もう一つ、たまらなく好きなものがありました。

 それが、絵を描くことでした。

 そして、だんだんに覚めてきた頭を完全に覚ましたのは、六花亭の包み紙でした。

 なんと、あのやさしい草花の絵は坂本直行さんの作品だったのです。

 

 

 決して消えることのない忘れがたい思い出。

 それは、網走から一日かけて、六花亭ホワイトチョコレートを買いに行ったワンデーツアーです。

 あの包み紙を描いたのが、坂本直行さんだったなんて。いい番組を見せてもらいました。

 ちなみに、坂本直行さんはご自分からは一言もおっしゃらなかったそうですが、坂本龍馬の甥っ子の孫に当たられるそうです。

 

 日高山脈のガンとして動かない姿と、同時に愛した山野草

 彼の中に、土佐のいごっそう精神と北の大地への愛とが同居していることが察せられます。

 

 明日1/29日曜日8:00~Eテレ

 来週1/31火曜日11:00~BS

 再放送されるそうです。見逃された方は是非ご覧下さい。

 

 バレンタインデー近し。今年は六花亭で決まりです。

来たよ!

 

 暦に違わずに雪が舞う朝になりました。

 

 

 昨日から、韓国の交換留学生を受け入れています。

 関空からバスで学校に入った彼らは、まず吹奏楽で歓迎を受けた後、日が落ちて真っ暗になってから我が家にやってきました。

 日本らしい、大阪らしいお持て成しとして、日本側の生徒が考えたのが「たこ焼きパーティー」でした。

 大寒の冷え込みの中での野外パーティーでしたが、歓声が遅くまで響いたところをみると、大いに楽しんだようです。

 

 あちらのインターナショナルスクールに通う生徒さんだけあって、日本語で日常会話ができます。

 おばあさんの私の問いかけにも快く応じてくれるのは、儒教国ならではと思いました。

 昨日の朝、慌てて調べた「初めまして」は何だったのでしょう?すっかり忘れてしまいました。

 

 

 まだ、たった一日ですが、いくつか発見したことがあります。

 まず驚いたことに、韓国の人は急くことを知らないようです。

 孫が、朝のルーティンに必要と考えた時間配分では足りなくなって、遅刻しかけたのです。

 孫も決して行動が速い方ではありまが、その彼が初めて焦った登校でした。

 日本人は几帳面といわれます。自国民どおしではイマイチわからない特性ですが、他国の人と比べてみれば、なるほどと思えたことでした。

 

 そして、二つ目の発見。

 うちがお預かりしている彼は、雪を見たことがなかったようです。

 『冬ソナ』にはまった人間としては、韓国は寒い所、雪降るところと勝手に思い込んでいました。

 ところが、なんと、釜山に雪は降らないそうで、彼は生まれて初めての雪を大阪で見たのです。

 今日の雪は霙ですから、昼前にはもう溶けてぐしょぐしょになってしまいました。できることなら、パウダースノーを見せてあげたかった、というのは欲張りすぎ。素敵なお土産を降らせてくれた空に感謝するばかりでした。

 

 今日のお楽しみは、韓国対日本のサッカー対抗戦です。ぬかるみと化したグラウンド。でも、コンディションがどうであれ、盛り上がりは間違いありません。

 フェンス越し観戦に、そっと行ってみようかな?

 

 

 ところで、この数日の間。受け入れた各家庭の奮闘が続きます。

 日本の温泉に行ってみたい。回る寿司を食べてみたい。グリコの看板が見たい。

 彼らの希望を叶えるための奔走です。

 でも、しんどい思いをした分だけ、心に確かな収穫が残ることでしょう。

 それも、子どもだけでなく、関わったすべての人にです。

 今、子どもたちは屈託なく付き合っています。それをみるにつけ、世界中の若い人が、偏った支配を誰からも受けずに、まっさらで素直に育てば、ひょっとして・・というのは、甘い仮定だと分かっています。

 それでも、明日の世界を作るこの子たちが、仲良く笑顔で過ごせる世の中であってほしいと祈らずにはおれないのです。

薬より大切なこと

 

 

 投薬には、薬の説明よりも大切なことがあると思っています。

 薬については、ドクターに訊いておられる部分もあると思われますから、繰り返しは必要最小限に抑えていいのではないか。

 では、他になにか?

 それは、ドクターを前にして緊張を余儀なくされて、堅くなった心を解いてさしあげることが、仕事のうちと心得ています。

 

 もちろん誰彼とめくらめっぽうとはまいりません。入ってこられるときの匂いというのでしょうか。こんな私でもお役に立てそうかどうかを、相手を見ながら判断します。

 

 

 こないだも、ちょっと辛いことがあったという方とお話ししました。しばらくお話してたら笑顔をお見せ下さったので、お大事にとお見送りしたことです。

 当たり前ですが、元気の安売りはしていません。彼女の心を一瞬でも緩められたらいいなぁと思っているだけです。

 

 横で聞いていた事務の人が私の顔を覗き込んで、「悩みないでしょ」と言ってきました。

 戸惑う表情を読み取って、「努力してるんですよね」と、重ねて言ってきたのは、彼女が大人である証拠でした。

 そう。私も子どもの時から、つい最近まで、苦労性の心配性でした。

 しかし、いつの間にか、そんな過去があったことさえ忘れていることが多くなりました。

 どんなことにも練習が必要です。こうなるまで、長い年月がかかりました。

 その練習は、やがて、この世だけでのものではなく、阿頼耶識にまで蓄えられるものと信じています。

 自分を変えていく。その過程に、この世で果たそうと決めてきた課題があるかもしれないと思っています。

 

 

 「悩みがない(ように見える)」人になりたくて、本を読んだり、人のお話を聞いたり、出来る努力はしました。

 その結果。こだわりを持たないというシンプルな法則にたどり着くことかできました。

 

 健康な人の笑顔は見ていて気持ちのいいものです。何も考えてないと揶揄されることもあるくらい楽天的です。

 そんな人になりたければ、過去や未来へのこだわりを捨てることだという気づきほど自分を助けた言葉はありません。

 辛いことを無理に消そうと考えなくてもいいのです。

 悲しみを抱いていることで救われるとお釈迦様も仰っています。

 ただただ、こだわらないこと。それが健康に毎日を生きるコツです。

 薬より大切なもの。それは、生き方です。

 薬に添えるアドバイスが、「あっけらかん」と過ごす。「お気楽」に生きる。であったら、ふざけるなと云われるでしょうか。

 でも、これ、ホント。

『好意』に思う

 

 七十二候『水沢腹堅(さわみずこおりつめる)』。大寒の中候どおりの朝を迎えました。

 昨夜からアメダスで雲の動きを観察していたのですが、なぜか大阪府だけ避けて通る予想図を不思議に思って見ていました。

 太閤さんのおかげか、大阪湾のおかげか。どちらにしても、最小限の混乱で済んだことに安堵しています。

 

 さて、「人の好意は素直に受けよう」という『今日の占い』の言葉にドキッ。頑固はダメですよと、朝から手痛い気づきがありました。

 

 「好意」。いい言葉ですから、社会はなんとか人々の幸せを願って、手を差し伸べるシステムに奔走しているように見えます。

 ですが、その結果、してもらって当然という考えが蔓延しては、人間の幸せからは遠ざかってしまいます。

 

 

 朝刊に『ママがいい!』という本の宣伝が載っていました。

 保育所でも幼稚園でも、子どもが「ママがいい!」という場面は、私もよく耳にしてきました。ママがいいに決まっています。

 ところが、この本は「ママがいいという言葉を持たない子ども」の存在を危惧して書かれているのです。

 どういうことかというと、あまりに早く母親から保育所に預けられることによって、ママと確かな絆を結べずに育つ子がいる現実です。

 女性の社会進出もさりながら、養育費用の増大も原因かと思われます。

 3歳までは手元で、というのは今や夢物語になりつつあります。

 その結果、受ける側の保育所に人材が足りず、余裕がなくなって虐待が横行するというニュースは、健全な社会とは程遠いことを感じさせます。

 

 

 今朝の『正論』に猪木武徳さんが書かれています。

 「科学技術の発達は身体的な負荷を低下させた。だが、そのことによって人間の内部に隙間やキシミが生み出されている。人間はその痛みを何かで癒やしたい。」

 科学技術を社会システムと変えれば、私達の不安の在り方の原因はすべて同根であるように思います。

 

 さらに、「規則正しい街並みの方が優位であるといったデカルトの論理は説得的とは言い難い。自由の余白。人々の自発性が尊重されることが必要。」

 街の設計と幼児保育。

 なんの関係もなさそうですが、心を育てる点で共通するのではないかと思います。

 どんなに整備された環境であっても、自由意志いう観点を忘れてほしくないなぁと、また、老婆心です。

 自由な心から放たれてこそ、その好意には愛があり、隣人を優しくする気がします。

きょうの二題

 

 今朝も『舞いあがれ!』に出演中の赤楚衛二君の笑顔を観て、にんまりしています。

 心溶かす彼のお顔の造形はもちろんですが、心惹かれる理由はそれだけではありません。

 彼のお名前に聞き覚え、見覚えがあるのです。

 彼が守口出身と聞いて、直ぐにピンときました。それは、守口の店で働いていたときのこと。

 私は仕事で出張の機会を得る度に、その土地を散策することを楽しみにしていました。

 旅を楽しむ仕事人。不真面目極まりないことでした。

 

 まずは、店の近くにある神社に参ることからマイ旅は始まります。

 守口市八雲には八雲神社という由緒ある神社がありまして、出勤前にお参りしたものです。

 参道は白砂で両脇は松並木という厳かさが好きでした。

 その参道の玉垣に「赤楚」さんというお名前を見つけたことがありました。

 そういえば、店の近くに「赤楚」さんの表札を掲げるお屋敷があるから、その一族の方なんだろうと推察しました。

 でも、お名前の横に名古屋の大学名が書かれていて、どうして名古屋の人が?とずっと疑問でした。

 今回の『舞いあがれ!』の出演で、それが赤楚衛二さんのお父様だったことがわかりまして、ミーハー度は最高潮です。

 地元の神社に篤い信奉を寄せるルーツが彼を守っている。そんなことも、わくわくの原因です。

 だから、ドラマの成り行きにも、彼のこれからにも注視して応援していきたく思っています。

 

 

 ところで、昨日、サザンカのことを書いているとき、使いたかった言葉が、友達が送ってくれた本の中にありました。

 

 山茶花や彩を重ねつ散り敷きぬ

            品川純胡

 

 サザンカは一重でも八重でも、花びらは一枚ずつはらはらと散ります。そして、風が穏やかであれば、木の下に明るいサークルができて、そこだけ華やかに彩られます。

 それそれ。その情景を表現したいと思っていたら、俳人・品川純胡さんがうまく詠まれていました。

 「散り敷く」。この言葉を知ったころは、手紙の書き出しによく使ったものです。

 落ち葉の散り敷く季節は特に。

 

 

 品川さんのこんな句もいいですね。

 

「今生きることに生きて落ち葉踏む」

 

 この句評を認められた橋野一二三さんが、「俳句は生きる姿勢まで照らし出してくれるようだ」と添えられています。

 

 

 先日、とある場所で落ち葉を踏んだ時、気持ちのよい感覚が呼び覚まされました。誰にも踏まれることなく積もった落ち葉は、それはそれはやわらかくやさしいものでした。

 足裏の心地よさが脳天に伝わって、生きる喜びをまた一つ知りました。