こころあそびの記

日常に小さな感動を

柔らかに生きたい

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 理学療法士の方から誇らしげに聞かされた話に一抹の不安を持ちました。
「身体を動かしながら頭も使う事は脳の老化予防にとても良いから、施設でも積極的に採り入れています」
「あっ、それ知ってます。踏み台昇降しながら計算したりジャンケンしたりするんでしょ」
「そうです!」
「私はそういうのごめん被るけどなぁ。だって若いときからのろまでしょ。そんな人に年取ってからできないことを強制されたら、却ってストレスになって惚けるよ!」
 考える脳と運動を司る神経を連動することなんて、日常生活の中では常に実践していることであり、わざわざお膳立てしてもらわなくても大丈夫。老人にも自由の選択権はあるのです。
 現に、そういう彼のご高齢のお父様は競馬が趣味で、毎週末、ウキウキして競馬新聞と睨めっこ。競馬場に足を運べなくなっても、画面を通して馬の走る姿を見ていれば、エンドルフィンが体じゅうに溢れ出ておられるはずです。
 精神科医名越康文先生が「好きなことをする効用」を掲げておられます。好きなことをすることが何より老化スピードを遅らせるもの、あるいは精神の健康をアップさせるものであるという説に、大賛成です。
 そういう意味で、老化予防の名目で、嫌いなことをさせるのは考え物です。
 人間は時に残酷な誤りを犯します。大脳生理学で脳細胞のどこがどんなときに働くか、その時運動神経はこのように反応するなど、一昔前とは比べようもないくらい分かってきました。だからといって人間の浅知恵で組合せて、はいどうぞ、と言われてもありがた迷惑の人もいるのです。科学が万能と教えられた人間の弱点です。一人一人みんな違うことを忘れないでほしいものです。
「そういえば、こんな事やってられるか!と怒り出したおじいさんもいたな・・」
 そうなの。そこに気づいてほしいの。
 曽野綾子さんの連載エッセイの題名「小さな親切 大きなお世話」です。
 良かれと思ってして差し上げたことが、当人にちっとも届かない思いやりだった、ってことないですか?
 近頃、間違った“寄り添い”が世間に蔓延しているような気がしてなりません。くわばらくわばら。