2月も終わりそうになって、いつもお世話になる高齢者施設の入り口にある「節分」の掲示板にようやく気づきました。
黒豆の豆がら=揺らすと音がする
火にくべるとパチパチという音
ヒイラギ=トゲトゲした葉
杉=空気を浄化する
南天=難を転じ福を呼ぶ
赤とうがらし=赤色と刺激
松ぼっくり=子孫繁栄
稲穂=五穀豊穣
7種類の邪気払いが束ねられていました。鬼のお面も肩身が狭そうにみえました。
近頃、「鬼滅の刃」の人気からか、”鬼“の存在感が増しています。
鬼は悪者、怖いものと信じられていますが、本来は人間を助ける役目を担っていたといいます。
まず、その昔、病気は邪が入り込んで起きると考えられていました。それを追い払うのが“鬼”でした。ここでは薬代わりのいい鬼です。
また、昨夜のNHK「日本人のお名前」で取り上げられた鬼は結界を守っていたというものでした。
熊野灘は外敵が侵入しやすい場所。そこから平城京へは障害物なく攻め上れるということで、そのあたりの修験者が侵入者を見張る任務に当たっていたといいます。ここでもよい仕事をしています。
それなのに、なぜその修験者が鬼といわれるようになったのか。それは怖い方が人々に恐れられるからではないでしょうか。
鬼という姿で現れるナマハゲは子供の逞しい成長を願ってこれでもかというほどに追いかけ回します。子供はそんなことともつゆ知らずに逃げまどいます。どの子にとっても多分、強烈な記憶となるでしょう。
怖がらせて相手を正気に戻す。それが役目だから”鬼“に与えられたのはあのイメージだったとは申し訳ない気もします。
昔の親は怖いものでした。本気で叱る時はまさに鬼の形相でした。「もうしません!」と震えた覚えのある子供は、いつか親になったときに親の気持ちがわかる日がくることでしょう。
そんな日々も懐かしいなぁ。叱られない子ども達はゆるい時代をつくるのかな?それもいいかな老婆心。
鬼の心が優しいことをご存知だった浜田廣介さんは分かっておられたのですね。人間に大切なことを教えるのが鬼であることを。