職場近くにある植物園に行ってきました。そこで出会った妖精のお話。
今日は園の探索を反対周りで歩いてみようと思い立ち、なだらかな坂道を上っていたところ、前からリュックを背負ったご老人が下りてこられました。
「カタクリが芽を出していますよ」
「えっ!どこに?」
「すぐそこですよ!」
どこどこ?とひつこく食い下がる私に、一緒に行ってあげると来た道を引き返してくださいました。
しばらく行くと立ち入り禁止の札が立てられた囲いの中に、スズランみたいな葉っぱがいくつも芽を出していました。
「わぁ、うれしい。あっ!蕾も出てますね」
「ええっ!どこに?」
そのお方は頻繁に来られているようで、蕾には気づかなかったそうです。人の目というのは慣れてしまうと見落としがあり、初めて見る人のほうが見えたりするとは不思議なことです。
彼は子供からもらったというカメラを取り出して、葉っぱの大きさには釣り合わないような逞しい長い蕾の写真を撮って、
「奥さんに教えてもらわなかったらわかりませんでした」とお礼を言ってくださいました。
「自然は毎年同じところに芽を出して、えらいですね」
「そうです。みんなを喜ばしてくれますからね」と応じてくださった言葉に感激しました。私の言いたいことはそれですと。
自然は世間がどんなに騒がしくても、我関せずで、ただあるがままに芽生えて花を咲かせ終わっていく。でも、人はその姿を見て心が震えます。忘れていた何かを、それぞれの胸に思い出させるのが自然の力です。それは、優しさであったり、涙であったりその時々の自分を投影してくれます。
そのご老人は別れ際に、私の手相を見て、「奥さん、長生きされますよ」という言葉を残して坂道を下りていかれました。
返答に困る言葉でありますが、いのちの健やかさを誉めてもらったと思えば、私もこれからはこう言ってあげられる人になりたいという目標をいただいた気がしました。
カタクリの蕾が開いて可憐な花の姿になった日に再会できるかどうかはわかりません。でも、自然のことを「人をよろこばす」と表現したカタクリの君は私にとっての春の妖精として、しかと心に刻んだことでした。