こころあそびの記

日常に小さな感動を

新聞休刊日に

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 いつもの習慣でポストに手を入れる。あれっ?そうか、今日は休刊日だったとがっかりして昨日の新聞をまた開いてみたり・・
 新聞が各家庭に届く国は日本だけと聞きます。誰が考え出したシステムなのでしょう。この豊かな配布も、若者が要らないと言えば終わってしまう。それが淋しいと思うのは、これまた老婆心ですね。
 朝、新聞に目を通してビンビンくる日とこない日がある経験はないですか。それは、自分側の気持ちがよく動く日と動きが鈍い日があるからともいえますが、紙面作りに苦労された不発日もあるからではないかと密かに思ったりする厄介な読者です。
 昨日は一組のシンクロニシティを見つけてちょっと心弾んでしまいました。
 まず、朝の詩です。
 『半分こ』
 「主人と二人だけのくらしが長かった
  老いた二人の食事 半分ずつで事たりた
  一人になったいま 
  半分こという そぼくなぬくもりが
  どんなにしあわせだったか
  一つのりんご もてあまして食べている」
 95歳の中尾トシさんの作品にときめきました。なんとお幸せな人生なのでしょう。そして、感性が萎れていないことに驚きと敬意を感じました。
 長い間、忘れていた言葉。「はんぶんこ」。素敵な言葉だったんだと私の中に蘇らせていただいたことがうれしい投稿でした。
 そして、もう一つは楽しみにしている坪内稔典さんの「モーロク満開」です。
 坪内先生は大のあんパン好きということで、受講料をあんパン払いで承諾されたことがあったようです。そしたら、食べきれないほどのお取り寄せあんパンが送られてきて困られたとのこと。
 贈る方にしたら、高名な先生に失礼はできないと思って当然ですよね。ところが贈られる方は高齢で食が細くなっている。
 この行き違いは笑い話みたいだけど、その年齢になってみなけりゃわからないことです。高齢者には”美味しいものを少しだけ“が適量ですと先生は書いておられました。
 今の若い人はひと昔前より食べる量は減っているように感じます。私達の親は戦争中のひもじさを体験していますから、食べることへの思いの強さが違います。子供を満腹にさせることが自分達の幸せでした。
 そんな団塊世代も年を取りました。
 「半分こ」でいいし、たまの「特上少々」がいいのです。