竹の秋。
この時期、竹林は風が吹くたびに黄変した葉がはらはらと散っていきます。筍という子どもにいのちを渡して、更に子どもを守るように散り敷く姿は春の別れそのものです。
「わが屋戸のいささ群竹吹く風の
音のかそけきこの夕べかも 家持」
旧暦4月に詠まれたこの歌は家持の代表歌です。学生時代にはこの歌が優れている意味がよくわかりませんでした。
その後、家持の置かれた状況を知ってその苦悩が分かるようになりました。見て作ったのではなく聞いて、それも耳をそばだてるのではなく、心を映した音だったのですね。
「和我屋度能 伊佐左村竹布久風能 於等能可蘇氣技
許能由布敝可母」
万葉の歌が詠まれた奈良時代、中国から伝来した漢字を日本人の言葉に巧みに採り入れて使いこなしたことは奇跡的な偉業でありました。
万葉仮名として始まった文字使い。それを崩して平仮名にしたことも、スーパーなアイデアでした。
誰もが話し言葉のままを平仮名で表すことができたことで文化度は一気に上がったことでしょう。
漢字は占いで使う甲骨文から始まって、青銅器に刻んだ金文、判子に見かける篆書、隷書ときて、草書、行書、楷書と進化してきました。
今、子どもでも書ける平仮名は草書ですから、なかなか高度な字体を書きこなしていると、本当はちょっと誇れることなのかもしれません。
なので、願わくば小学校高学年くらいには、元の漢字を教えて下さると子どもたちの新しい発見になると思うのですがいかがでしょう。
今、打っているメールの文字を素晴らしい先人が、作ってくれたことに思いを致してくれる子どもがきっといるはずです。