こころあそびの記

日常に小さな感動を

清明

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 二十四節気で「清明」ほど麗しい響きはありません。目に映るものすべてが、清らかに明らかになってまいりました。
 月の朔望だけで作られた太陰暦では、農耕などにズレを生じるため二十四節気を加味して太陰太陽暦に移行して、生活は便利になりました。
 清明節は春分から数えて五番目の晩春節です。
 さて、今日もせっかくの日曜日なのに花散らしの雨が降り続きました。
 
 「 清明       作 杜 牧
   清明の時節 雨 紛紛
   路上の行人 魂を断たんと欲す
   借問す 酒家は何処にか有る
   牧童 遥かに指す 杏花村  」

 農歴にも清明節は杏があちこちで咲くころと記されています。煙雨で湿った景色の中に白い杏の花が咲いている。他の作品「江南春」にも見られるように、視覚的にぼんやりと配色された、静謐で穏やかな雰囲気を杜 牧は好んだのでしょう。
 あるいは、人の世がこのようであってほしいという願いをこめたのかもしれないと考えると切ない気もします。
 “明”は「お日様もお月様もあるからあかるい」なんて覚え方をしましたが、説文解字では「窓から(日)入り込む月明かり」と説かれています。想像しするだに神々しい光のもと祈りを捧げている姿が目に浮かびます。
 空から届く美しい光を受け止めて、過ぎゆく春に思いを馳せる時節です。
 中国の「清明」の添え書きには“思親”とあります。そぼ降る雨の中、親しい人を思う季節なのですね。そう思えば、しっとりとしたこの雨もまた好ましく思えてきます。
 雨に散らされて、明日は花筏を楽しむばかりとなりました。惜しむばかりではなく、次の出会いに希望を抱くスタートの春です。新入生、新社会人、おめでとうございます。