こころあそびの記

日常に小さな感動を

崩れ

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 朝の散歩。コースを決めるのではなく、その時の気持ちの赴くままにが私流です。
 昨日は雨上がりの大阪の街が見たくて、ちょっと高台まで上ってみました。
 「おはようございます」というあいさつが気楽にできる日々ではないのですが、2頭のラブラドールにブラッシングしながら元気に声をかけてくださった私と同年齢と思しき方に遭遇しました。
 朝、5時に家を出て、箕面滝まで行ってきたとおっしゃる声は、もう体が温まってすっかり目覚めておられることが推測できるものでした。
 「山道を行ってこられたのですか?」
 「いや、今日から全面通行できるようになりましたよ」
 箕面川右岸のアスファルト敷きの遊歩道は度重なる豪雨で山崩れがあちらこちらで発生して、しばらく通れなかったのです。その間は左岸の山道を通ることになっていました。
 過日、災害の後、滝道を行くと下の方に流れる川を塞ぐように大木が何本も折り重なって倒れています。自然の力はこんな小さな谷にもその大きさを見せつけています。
 それを眺めながら、人が使い勝手の良いように谷を開いたことも原因の一端かもしれないけれど、倒れるべくして倒れて自然はまた復活していくのではないかと近頃は思うようになりました。
 昔、曽野綾子さんと同じくらい幸田文さんが好きでした。父、幸田露伴に厳しく育てられたという彼女は、雑巾の絞り方や掃除の仕方を細々と注意される姿を文章に記されています。母が厳しかった私は彼女に共感する部分がたくさんありました。
 その幸田文さんが、晩年「崩れ」というものに興味をもたれて、各地の自然に崩れる山を訪れておられます。
 その頃の私にはまだその意味がわかりませんでした。でも、今ならわかるような気がします。そう思うと、もう一度読み返してみたくなってアマゾンで1円の古本を買いました。
 ご報告はまた後日。