こころあそびの記

日常に小さな感動を

良寛さん

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 コロナ禍の先週末。
 行きたい気持ちが高じて、細川護煕個展会場に電話をかけてしまいました。
 「あの~、緊急事態宣言発令で行けないのですが、図録などございますか?」とお婆さんの厚かましさでお尋ねしたら、快く直ぐに湯河原から送ってくださいました。
 期待通りの静けさが伝わってきて、あぁ、これを会場で見たかったと思いました。
 水墨画、作陶、書画なんでもできてしまう才能と精神性に触れさせていただくだけで感激なのですが、それ以前に私のような端っくれにも、分け隔てなく対応して下さるところが流石だと思うのです。
 今回は良寛さんの詩歌がいくつかありました。
 「形見とて何のこすらん 春は花 夏ホトトギス 秋はもみじ葉」を習字のお手本にしましょうか。
 道元禅師を先導の師として仰ぎ見て生涯を全うした良寛さんが目指したものは、「無欲」です。
 もう十年以上前のこと、磐越西線で咲花温泉に立ち寄ったことがあります。飛び込みの女性一人客は少し不信がられましたが、泊めて下さる旅館がありました。
 その旅館の廊下にあったのが良寛さんが貞心尼に書いた手紙だったように記憶しています。その時初めて晩年のお姿を知りました。
 自分をずっと押し殺して修行に明け暮れ、たとえ、托鉢で顔を覚えていたとしても、決して情を映さない。そんな修行を積んで積んで、死の間際に心を緩める事ができて本当に良かったと、素人は思ってしまいます。
 良寛さんがたどり着いたように、神様がもういいよと言ってくださるまでは自分が選んだ道を歩かねばなりません。
 その先導師をだれにするか。
 私は良寛さんが慕った道元老子荘子を、彼のまねっこですが辿っていこうと思っています。
 書棚をガサガサ探したら「風の良寛」(中野孝次著)、「良寛の読み方」(栗田勇著)、「良寛軽やかな生き方」(境野勝悟著)の三冊が出てきました。三人三様の捉え方を、連休中に再読してみます。