連休が終わりました。
晴天が続いたので、庭でカレーパーティーや焼き肉パーティーをしたり、散歩で一日二万歩を歩いて自然を満喫したりもしました。
ある日。昼間のこってりに疲れたので、夕飯メニューは「生節とお焼きと蕗の炊き合わせ」にしてみました。
私が子供の頃は「なまぶし」と呼んでいたのに、今では「生利節」という名前になって売られています。それでも、「今が旬です!」と目に付くように置いてあると、懐かしさがあってつい手に取ってしまいます。
よく母のメニューに登場しました。あの頃にはちっとも美味しく感じられなかったのに、なぜか忘れられない味になってしまっています。
飽食の時代には、噛まないものが若い人に人気と聞きます。あの鰹のパサパサ感をいかに味付けでごまかすか?そこが腕の見せどころです。幸い、我が家では孫たちも食べてくれるから、季節料理としてたまに登場いたします。
ところで、私の体の何分の一かは、淡路島から行商にやってくる人から買った魚でできています。
もう何十年も前にNHKのドキュメンタリーで放映されたことがありました。夜半に岩屋港からフェリーに乗って明石へ。そこで魚を仕入れて始発に乗って大阪に売りに行くおばさんたちです。もちろん、仕入れる魚は岩屋漁港で上がった魚を卸売り業者が明石に運んだものです。
今は見かけなくなった行商人ですが、当時の大阪にはその新鮮な魚を待っている家がたくさんありました。
決まった曜日に門戸まで新鮮な魚を届けてくれる顔見知りの人。しかも、その素朴な人柄が信用に足る付き合いでした。
我が家もその日は買い物に行かずに待っていたように記憶しています。献立はその日買った魚で決まりますから、今日は何が入っているのかと、トロ箱の中を覗くのが楽しみでした。魚はその場で、道端でさばいてくれます。それを見て育ったからなのか、魚を処理することに抵抗はありません。
スーパーできれいにパックされている魚にハエは飛んできません。だから、今の人は魚にハエがたかっているところを見たこともないし、そんなところを見たら不潔!の一言で、魚嫌いが高じそうです。
でもね。魚は美味しいですよ。
毎日同じものを並べるスーパーよりも、旬の魚を届けようという心意気のあるお店で、あれやこれやと店主と話しながら迷う時間が好きです。