青嵐が塵を吹き飛ばしてくれたのか、山の起伏に合わせて緑の濃淡が一段と映えています。真っ白な綿雲を浮かべた空には飛行機雲が幾筋か伸びています。
幸せな昼下がりです。
こんな景色に出会ったときは、素通りしないことだと思います。誰か知り合いに会ったときに会釈するように、ちょっと立ち止まって自然と呼吸を合わせてみたら、鬱陶しい霧が晴れていくことでしょう。
健やかに過ごすコツは、こんな小さな幸せを見過ごさないことだと思います。
帰りに、スーパーに寄ったら、イチゴが1パック158円で売り出されていました。そうだ。ジャムを作ろう!
家中にこの甘酸っぱい匂いを漂わせることが、春の恒例行事です。上手にできることに越したことはありませんが、失敗しても何の問題もありません。
期待することは、この季節にしか味わえない匂いなのですから。
グツグツ煮ながら、レモン入れすぎたかな?火を止めるタイミングは遅すぎたかな?
今年もいろいろと反省点はありました。でも残念なことに、来年までにそのことをすっかり忘れ果てることでしょう。そして、初心者にもどって、また作ります。
この先も、そんな幸せな記憶を積み重ねられたらそれでいいと思っています。それを人は普通の幸せというのでしょう。
子育てしていた頃。懇談会で、先生が「どんな子になってほしいですか?」と質問されたとき、「普通の子供に」と答えたお母さんがおられました。「お母さん、それが一番難しいのですよ」と先生が応えられたらことが忘れられません。というのは、どちらの気持ちもわかるからです。
『普通』とはどういうことを指すのでしょう。
普通の”普“は上半分は左右に人が居る様子。下半分の”日“は太陽を表している会意形声文字だそうです。
お日様が広く照り残しのないように射しているところから、あまねくという読み方になり、そこから、「特別の反対言葉。世間にざらにあり、なんら変わった所が見られないことを表す」(新明解国語辞典)という意味になったようです。
しかし、人の一生に限って言えば、特別でない人生なんてないと思いませんか。昨日も今日も、いろんなことを乗り越えながら生きています。波風を経験しない人などいるのでしょうか。
だとしたら、「普通の人生」とはどんなことでしょう。
あるお母さんが娘に言いました。
「普通の人生が一番。それは、結婚して子供を産んでという当たり前の人生」と。
この一言で眉をしかめる人もいる時代です。
でも、眉をしかめてみても”普通“の答えには辿り着かないように思います。
「死とは生まれる前の自分に返ること」と福永光司先生はおっしゃいました。
生きてみる。毎日毎日を精一杯生き抜いた先で、振り返る日が来た時に、よく頑張ったと自分を褒められる人は、普通の幸せを生きたということになるように思います。