こころあそびの記

日常に小さな感動を

クスノキの思い出

f:id:snowrumirumi:20210528191116j:plain

 
 大阪市立大学附属植物園の年パスをゲットして、さぁ、今年は楽しむぞと意気込んでいましたのに、この季節をスルーしなくてはならないことはつらいことです。
 ある木は緑を濃くして、また、ある木は花を咲かせて待っているはず。
 大きなユリノキ。30m以上の高さを誇っていたのに、一本は先の台風で折れてしまいました。残る一本。今頃、チューリップみたいな花を付けているだろうに、見てあげられない。
 「誰も来ないなぁ」とお話ししてるかな。それともそんなことには頓着せずに、夏に向かってエネルギーを蓄えているでしょうか。
 会いたい木々に会えない残念な年になってしまいました。

 それで、彼らに会えないならと、散歩で出会う木々をよく見るようになりました。


f:id:snowrumirumi:20210528155006j:plain


 楠に花が咲いています。
 楠は母を思い出す木です。
 「あんたは、何の木が好き?」と母が訊いてきたとき、「欅かな」と応えると、「なんで?」と再び母。「仙台の欅が」と、その頃、仙台で大学生活していた長男の所に行った思い出だけが先行してしまいました。後になって、何で「クスノキ!」と言ってあげなかったのかと悔やんだことです。木の名前も母の心もわからない娘でした。
 何故、母がクスノキにこだわるかというと彼女の女学校の校名に由来します。
 母の女学校時代は勉強もそこそこに、軍需工場や農作業の手伝いをして過ごしたそうです。ほとんど勉強らしい勉強時間がなくても、心の中は”クスノキ“に誇りを持っていたことは、子供の私にも言葉の端々に窺えました。
 当時、田辺聖子さんも通われた女専は憧れの学校だったようです。母の長姉が女専にだけ許される袴姿で市電を待っていると道行く人が皆振り返ったといいます。そんなお姉さんの後に続くことを夢見ていたことでしょう。
 しかし、残念ながら、母が女専に進む頃には戦争が激化して、それどころはなくなったので、結局、女学校で卒業となりました。でも、難しい勉強せずに済んだことで心の中はやれやれだったかも。そんなことを平気で言うお茶目な母でした。
 ある時、どの木がクスノキかと母が訊いてきたことがありました。「これ?」というと「違う。もっと肌がゴツゴツしている」と言われた記憶が残っています。
 へえ。そうなんだ。そんなところを見るんだと、その後、木を見るとき木肌を観察するようになりました。
 木は葉っぱで見る、樹形で見る。そして樹皮の様子を見ることを教えてくれたのは母でした。
 大きな楠を見る度に、懐かしさが年々膨らむように思います。