こころあそびの記

日常に小さな感動を

野蒜の種

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 今日は五月晴れ。職場近くの田んぼでは朝から田植え機が大活躍です。どんな仕掛けになっているのかと、近寄って見せてもらいました。
 クルクル回る金具が一苗ずつ繰り出すようになっているのですね。その器用さにびっくり!そして、泥田の中を方向転換する動力の力強さ。開発された方々の軌跡を見た思いがしました。


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 その横の畦道では、椋鳥が数羽、遊んでいました。鳥に合うことも朝の楽しみです。
 鳥たちに見とれて通り過ぎようとしたのに、なぜか私を呼び戻そうとした草がありました。
 「わたしを見て、知ってるはずよ」と話しかけているように感じました。
 いつもの便利機能で調べたら、野蒜の種とあります。
 いゃだぁ。毎日通っていたのにノビルを見落としていたとはお恥ずかしいことです。きっと「あなた、まだまだね」と話しかけてくれたのですね。
 もうずいぶん前になってしまいましたが、野草の先生がノビル採集に連れて行ってくださったことがありました。あたり一面に生えているノビル。スイセンと間違わないようにと教えてもらって、前に前に夢中で掘り出したことは楽しい体験でした。
 あの体験が身についてないと本当に情けなく思いました。馴染みのない野草の知識を身に付けるためには、繰り返すことが必要で、一度教えてもらったくらいでは思い出にしかならないことがよくわかりました。
 種さん!来年の春は見落とさないで探して見せますよと約束したことでした。

 人は、めぐりあったものについては知るとこができるが、めぐり合ったことのないものについては知ることができないと、いいます。
 体験ほど私たちの人生の学びを後押しするものはありません。
 しかし、もっと深く、この種が何を教えているかを考えるとき、「野蒜の種はこんな形なんだ」と理解して分かったと思うことは、種の言わざる言葉を読み取ったことにはならないように思います。
 去年の種が飛び散って、春に芽を吹き、また、種になる。この天が為す自然の循環に思いを致せば、名前なんてどうでもよいことだ、と先人たちは言うはずです。
 ノビルも私も自然の大きな働きの中で生かされている。一緒やね。そのことに気がつけば種さんもホッとしてくれるように思うのです。