こころあそびの記

日常に小さな感動を

こだわらない心

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 「こだわり」は人間にしかないものといいます。
 植物なら、もっと養分の豊富な土地に行きたいな。もっとお日様の光を浴びたいな。反対にもっと湿り気がほしい、と思っても移動すら叶いません。
 人間だけが、もっともっとを実現できる知恵を与えられたといえます。
 そのこだわりが科学を発達させ、便利な世の中を実現しました。あんなに遠くまで行けたらなぁ。もっと早く行けたらなぁ。こんな病気でへこたれないぞ。などなど。
 私はコレがしたいという欲求に応えて、人は進化してきたことは確かです。
 だから、こだわることは良いことだと一般には思われているようです。
 ずっと昔、まだ青二才だったころ、迷いから脱する方法を模索した時期がありました。
 お寺参りも随分しました。
 そんな折り、薬師寺で一巻千円で般若心経を納経する事業が開始されていることを知りました。百万巻達成できたら金堂を再建できると、当時の高田好胤さんが全国を行脚されていました。彼は、荒れ果てたお寺、自分と縁を結んだお寺の復興を我が使命とされた方でした。
 お写経は般若心経の書き終わったところに次のようなひら仮名を書き足してもよいことになっていました。
 好胤さんが考案された般若心経の神髄を表す言葉なのではないでしょうか。

 「かたよらないこころ
  こだわらないこころ
  とらわれないこころ
  ひろくひろく もっとひろく
  これが般若心経
  空のこころなり」

 何回も何回も書いているうちに、好胤さんの”こだわらない“が自分を解放する言葉であることに、気づいていったように思います。
 でも、若い人には難解なことに違いありません。こだわらなければ、思いが叶わない。なりたい自分になれない。そう思うことは、夢多き若者なれば当然です。
 そのこだわりが適量であればよろしいのですが、たまに、こだわりすぎて執着という壺にハマってしまうことがあります。
 好胤さんが青空説法で説かれた“こだわらないこころ”とは何でしょう。なぜ、にっちもさっちもいかなくなっているのかと考えることは一旦忘れて、まず、大きないのちを思い返してほしいと念じます。
 大自然に生かされる人間以外のいのちは、こだわりなど持っているでしょうか。
 「本来無一物」です。
 私たちはこの世をただただ生きるために生まれてきました。いのちはあなたが眠っているときも、怒り狂っているときも、黙々とあなたを守っています。
 この時代だからしんどいのではありません。先人たちも同じように苦しんで凌いで生きてきたのです。そして、ここまでいのちを繋いでくれたではありませんか。
 昨日からの、大坂なおみ選手の言動とそれを煽るマスコミやら無責任な言葉の数々に悲しくなっています。
 彼女のこだわりの中には、一般人には分からないものがつまっているのでしょう。
 それでも、大坂選手には自分を乗り越えてほしいと切に願っています。あなたならできるはずです。苦しいことをどれほど突破してきたことかと想像しています。そんなあなただからきっとこの世で一番大切なものに気がつく日が来ると信じています。