夏至。太陽が最も高い角度から降り注ぎます。天からのエネルギーが一番強い時だから、梅雨という雨雲で、たまには陰らせて下さるという配慮に恐れ入ります。
とはいえ、今朝は、真夏さながらの強烈な太陽光が放射されていました。
田んぼでは、あんなに柔だった苗が日ごとに逞しく育って、みるみるうちに遠目には一面の緑の草原に見えるまでになってきました。
もう、水面が見えなくなるのも時間の問題です。惜しみながら空と雲が映る湖面を楽しんでいます。
今朝は、その水面に太陽が映っていました。その映った太陽ですら、くらくらするほど強い光でした。夏至最中である思いを新たにしたことでした。
水の中に映る眩しい太陽を見ながら、これが、夜ならお月様が映る「田毎の月」になるんだなと、その光景を想像してみたりもしました。
そして、思い浮かんだ言葉は、
「月かげのいたらぬさとはなけれども
ながむる人の心にぞすむ」(法然上人)
でした。
青春はいつも孤独なものです。そんなとき、自分を癒やし鼓舞するために出会って、胸に住み着いている言葉です。
月が出ている。でも、見上げることもなく過ごしてしまうことはないですか。虹と同じですよね。
電車に乗っているとき、窓の外に虹を見たとしましょう。前の座席にこっち向いて座っている人に「虹がでてますよ!」と教えてあげたくなります。ワクワクうれしくてたまらなくなります。
お月様だって、ビルの谷間の小さな空に月を見つけたら嬉しくなります。今夜は幸運だと思いますよね。
でも、虹やお月様の姿を見たあなたの中に、誠に住みついたものは、見えたお月様でも、七色の虹でもなく、心に残った温かみなのだと思います。
知恩院の勝部正雄上人のご法話をお借り申し上げます。
「見えない世界が見える世界を実現させている」
これを人々が素直に実感出来る時代になってきたと感じています。
大波を越えなくてはならないことが山積みです。みんなの心が柔らかな月の光に照らされますように。