朝、県外ナンバーの車が、リアガラスに「鳥類調査中」の黄色い札を掲示して停車しているのを見つけました。
辺りを見回しても、それらしき方がおられません。がっかりして、いつもの畦道を進んでいきましたら、望遠鏡を覗いている人影がありました。やったぁ!
「野鳥の調査ですか?」
「はい、北陸新幹線の事前調査です」
「そうなんですね(笑)」
実は私は曾祖父の代からの鉄道マン家系を自負しています。国鉄からJRに社名が変更されるだけで、曾祖父の思いが消えてしまいそうで悲しくて気持ちの上で抵抗したことも遠くなりました。
経済が停滞し、乗客が激減しているこの時期であっても、次なるプロジェクトが進行していることに大きな希望を感じます。こんな困難の中でも、前に進もうという気迫が、すべての人への励ましです。
曾祖父が国鉄マンであった明治時代には、中央線を敷き終わりつつあったようで、最後の任地は磐越西線だったと聞いています。
阿賀野川沿いに走るための技術やトンネルを通す工法を一から西洋人に習って敷いたと聞いています。その時代の人が原野に線路を敷いてくれたから、今、私たちは便利に使わせてもらっています。
渋沢栄一もしかり。明治の人の汗がたった百年前のことだと考えるとき、その汗のお陰をいただくばかりでは恥ずかしい思いがします。
1年が今までの10年のスピードで変わるよといわれて久しくなりました。今や、10年が100年に匹敵するほど高速で変化しようとしています。
そして、百年前の強引な工事は許されなくなりました。
人間が自然と共生できるようにSDGsという目標を世界で共有するようになって、人にも、自然にも優しい進歩が当たり前になりました。
その一環で線路を敷く前に鳥の調査をしてくださっていたのですね。倍率30倍の望遠鏡で観察されていた調査員の方の優しくて穏やかな笑顔が印象的でした。
明治の人が残してくださった遺産を、今考えられる叡智を結集して次世代にバトンを繋げられたらと切に願います。