吉村昭さんの『雪の花』を読みました。
感染力が強く致死率も高く怖れられていた「天然痘(疱瘡)」に、立ち向かった福井藩の町医者、笠原良策の奮闘の記録です。
ジェンナーが天然痘より少しだけ毒性の弱い牛痘にかかった乳搾り女が話した、「牛痘にかかったから、天然痘にはかからない」という言葉に引っかかりをもったことから、種痘という方法を編み出しました。
それは、1796年のことでした。
ジェンナーの種痘という方法が、江戸後期、長崎から蘭方と共に伝来はしましたが、漢方医には、西洋の医学を受け入れる素地がありません。
良策はもちろん純粋な漢方医でしたが、毎年、天然痘でおびただしい死者が出ることを人一倍憂慮していたことから、この西洋の方法を試してみようと心を決めました。
何とかしたい。その一念を貫き通した人生でした。
小説は、良策の奮闘記なのですが、それはそのままジェンナーの試行錯誤と重なるものでした。
誰もわかってくれない新しいことを始める人に必要なものは、信念だけです。たとえ間違っても後には引かないくらいの激しい情念です。
湖北から福井は豪雪地帯です。ここを女、子供と一緒に山越えする場面がクライマックスだから、『雪の花』と題名を付けたとありました。
今、期待を集めるワクチン。ラテン語で「牛」からきているそうです。
もっとも、今回のワクチンはジェンナーや良策が施した種痘とは根本的に違う種類のものです。
それでも、予防策として、何らかの手を打ちたいという勇気は彼らと同じです。
ジェンナーから二百年。未来に生きる人々に届けられたワクチン。
時々、そういう使命感に燃えた人が出現するおかげで、大勢のいのちが助かります。
利他精神。
持って生まれた人々にはかないませんが、凡人には凡人の使命があります。
心理学では、「人に親切にされたときよりも、人に親切にしたときの幸せの方が三倍長続きする」という言葉があるそうです。
こんな時だから、マスクで隠れていない眼の力が威力を発揮します。
笑っている目、真っ直ぐに見つめる目、静かな目、エネルギー溢れる目。
優しい目で「ありがとうございました」と言われると、こちらこそと言いたくなってしまいます。