こころあそびの記

日常に小さな感動を

“光”へ続く道

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 早朝、蝉時雨の降り注ぐ公園で、砂の上に放り出された水筒と虫かごを見つけました。
 持ち主達はジャングルジムで追いかけごっこに夢中の様子。
 少年たちの夏休みがいつも通りに始まったことに安堵して通り過ぎたことでした。

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 今日は東京2020オリンピック開会式の日です。

 不思議なことですが、自分の昨日までのどこか煮詰まって淀んだ気持ちが、払拭されるような朝です。
 それは、潔く開催に向かおうとする純粋さを前面に押し出す報道に切り変わったからでしょうか。それとも、私達にもストレートに伝わるシンプルな”人”の話だったからかもしれません。
 多難という二文字では表しきれない難産の末に生まれてくるものに希望を感じたい。そう思うのは私だけではないはずと信じています。

 64年のオリンピック当時、小学生だった隈研吾さんは、丹下健三設計の代々木競技場を見て”神殿“だと思ったそうです。
 その感動が今回の国立競技場の設計に生かされていると聞くと、歴史の流れは人がつないでいるという思いを深くします。
 また、その競技場に使われている木材は47都道府県から調達されているそうです。その一つである南三陸杉を切り出した12代目の林業家の佐藤太一さんが口にされた「じいちゃんが植えた杉」という言葉に自然の循環は裏切りはないと胸が熱くなりました。
 更に、競技場の屋根を工事統括された小山聖史さんも「子や孫に自慢できたらそんな素敵なことはない」と締めくくってくださいました。
 人間一人一人はいかにも小さな存在で、歴史は勝手に動いていくものだと思いがちですが、どっこい、彼らの言葉からは歴史は作っていくものだという確かな手応えを持たれた事実に感動させられます。
 
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 さっき、読了したばかりの「闇を裂く道」(吉村昭著)は、大正、昭和を作った話。
 そして、今、私達は闇の向こうに光が見える位置に立っています。そんな場所に立ち会える幸せを噛みしめたいと思います。