こころあそびの記

日常に小さな感動を

心のレガシー

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 朝練から始まるサッカーのクラブ活動を午後まで頑張って、塾の夏期講習が始まるまでの二時間足らずを友達とゲーム遊びして、慌ただしく夕飯を食べて塾の送迎バスに乗りこみ出発した中一の孫。
 この暑さの中ご苦労さん。若さを羨ましく思って見送りました。
 その後、テレビの前から離れられずに居りました私に、娘が「ちょっと、聞いてよ」と部屋に入ってきました。
 「あの子さ、塾に着いてリュックを開けたら教科書がないことに気づいて、走って帰ってきたんよ。アホちゃう?しかも、リュックを背負って25分走って帰ってきたんよ」
 笑いが止まらないといった様子で話し続けます。でも、その心は笑っていないと分かりました。ぐちゃぐちゃになった気持ちを誰かに言わないと収まらなかったのでしょう。
 それを聞きながら、私は「大丈夫?」と心配が先立ちます。幼稚園からこの方、常に並びっこは一番前をキープしてきた孫です。さすがに塾への二回目の送り届けは自家用車を使ってくれたので一件落着となりました。
 娘にも、孫にもあの出来事の感想を訊ねてみました。
 孫は、「もう言わんといて」とそっぽ向きました。
 娘は、”なんとも表現できない気持ち“と言いました。嬉しくはないから悲しいかといえばそうではないし、可笑しいといっても抱腹絶倒でもないし。
 母親の気持ちはこんな時複雑です。
 「大悲」とは仏様の大きな慈しみですが、子供を護ろうとする一瞬に出てくる愛はこの範疇にあるものかと思いました。
 孫にとっても娘にとっても、良い経験ができました。そして、おばあちゃんの仕事は事故が無かったことに感謝することだけでした。
 
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 オリンピックが始まって数日ですのに、連日の熱戦から目が離せません。
 フランスのパブリックビューイング会場で「オリンピックを開催してくれてありがとう」と言ってくださっている方がありました。
 この後も、世界の至る所にそういう思いが溢れ続けるかとでしょう。
 なのに、なかなか世論のまとまりがつきません。
 責任を追及されることを避けたい思いばかりじゃ、私たちに感動を伝えるために頑張っているアスリートに失礼ではありませんか?
 「開催してくれてありがとう」に応える日本でありたいものです。
 孫と娘が紡いだ小さな物語がいつまでも二人の心に残るように、オリンピックに参加した全ての人々の物語が若人の心のレガシーとなってくれるに違いないと信じています。