こころあそびの記

日常に小さな感動を

不確かな時代に生きる

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 夏の庭仕事はさぼると大変なことになります。
 バラが雑草に巻き付かれているのを、毎日心痛めながらも忙しさにかまけて見ないふりしていました。
 とうとう限界が来て、本日バラ救出作戦を断行しました。
 つる性の雑草君には申し訳ないけれど、ご退場いただき、買っておいた誘引用の柵を設置してあげました。
 ちょっとだけ罪滅ぼしできたかなと見回したら、アジサイにもクチナシにもツツジにも貧乏草と貧乏葛が我が物顔で蔓延っています。
 この雑草の名前はもちろん貧乏草や貧乏葛ではありませんが、手入れしない屋敷を席巻するように蔓延るところから命名されたそうです。
 気の毒にねと謝りながら雑草を何回も強く引っ張ったので、右手が痛くなりました。
 滴る汗をシャワーで流した後は、冷えたスイカをクーラーのきいた部屋で食べるのが夏の幸せです。
 麦茶をごくごく飲むのもいいけど、スイカは熱した体に速攻、よく効きます。こんな暑い日には天然の白虎湯といういわれを実感できます。

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 オリンピックも後半に入りました。
 さっき、水泳が全種目終了して、北島康介さんが締めくくりの言葉を求められて、
 「開催できるかどうかも分からなかったのに、関係者の力でこうやって開催できて選手も笑顔で終了できたことが本当に良かった」
 と言って下さいました。
 本当に良かった。素直な人になりましょう。
 競技大会はいくつもありますが、国を背負っての大会はオリンピックだけで、それがダメという方には関わらないという方法を選択していただくしかないと思います。
 今後、まだまだ総括という部分で議論がなされることでしょう。こうすれば良かったというのはOKですが、開催は間違いだったはNGであってほしいです。
 コロナがどうだ、ではなく、21世紀は不確かな世界になるように思われます。
 人間が未熟なうちは、誰かが号令をかけないと、一人一人がするべきこともわからなかったはずです。しかし、成熟に伴い他人の号令が無用になるように思うのです。
 今朝の千玄室さんのエッセイに「戦後日本の不徹底」と副題がついていました。何もかもがチャランポランに見える時代。特攻隊にまで行かれた方には、お目だるいことこの上ないとお察しいたします。
 でも、それでも、戦後教育で特攻精神を摩滅させられたと思しき若い人の中に、日本人の心が生きていることが見え隠れしませんか?
 オリンピックで活躍した選手の皆さんも、それを応援した聴衆も、その心は大和魂だったと思いました。
 コロナが教えています。何か確かなものを求めようともがくな。あなたは今日も生きている。
 生きていること。それが、どんな不確かな時代であっても唯一確かなことなのです。