こころあそびの記

日常に小さな感動を

紙は神なり

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NHKラジオ講座のテキストに使われている紙は、現在私が知る紙の中で一番味があるように思います。
 マーカーを入れると、裏に染みだすほどの粗い繊維です。それが、なんとも懐かしい風合いを醸し出しています。
 小学校の頃のざら半紙に似ています。コピー機どころか青写真もまだない時代でした。先生が鉄筆でカリカリ字を書いて、それをみんなで謄写版で刷り上げました。気を抜くと、真っ黒け。それも今から思えば楽しい作業でした。
 新聞もいまだに、ザラ半紙に近い手触りです。でも、皆さん、各新聞社によって紙質に差があることをご存知ですか?各社それぞれに涙ぐましい努力を重ねて、より良い紙面を提供できるようにがんばっておられます。
 活字が映えて読みやすく、少々の雨にも破けない。新聞の紙質は知らないうちに進化し続けています。
 なのに、紙媒体は消滅の危機に瀕しています。
 瓦版と呼ばれた時代から、新聞配達まで、情報の歴史と紙質の進化が隠れている貴重な文化が、もし、なくなるとしたら、さびしいのは私だけでしょうか。

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 紙の発明は紀元前にエジプトのパピルスに起源をもち、遠く中国まで伝わってきました。
 西暦105年頃に蔡倫(さいりん)という後漢時代の役人が行った製紙法の改良によって、”書く“という文化が爆発的に広がりました。
 筆に墨をつけて書く。それまでは、せいぜい1センチメートルくらいの幅の竹に書いていたものが、大きさの制限がなくなったことで、書家の自由度が増しました。
 ”お手紙“という文化も、紙があればこそ生まれたといえます。
 去年、上梓した際に、細川のお殿様から頂戴したお手紙は和紙でした。もちろん、PC打ちでしたが、お手紙の書き方、送り方を学ばせてもらいました。
 昔、「いつも、手紙は何を考えて書いているの?」と訊かれたことがあります。「その人のことを想像しています。何が好きかなとか」と応えたように記憶しています。
 上手とか下手とかは関係なくて、ただ受け手がほっこりできたら何よりの手紙になるように思います。
 名手、王羲之は老年期に盛んに手紙を書いたそうです。でも、真筆は残っていないといわれます。
 手紙は残るから誰彼に書くものではありません、と母にたしなめられたことがあります。大切にしまっておくというよりも、消えてなくなる方がお手紙の使命の全うに相応しいのかもしれません。
 
 書道具屋さんで、紙を選ぶことも楽しみの一つです。ついついお高い方を選んでしまうのは、悪い癖です。紙の質がいいと字までうまく書けそうに思ってしまう単純さも抜けません。
 それでも、紙が好きです。
 ため込んでいる紙を相手に、老後の時間をゆったり過ごせたらいいなと思っています。