こころあそびの記

日常に小さな感動を

やまない雨はない

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 雨が上がりました。
 何が何でも歩きたくなりました。
 やんだのかしらと戸口から顔を出す住人。向かいの家から出てきた人に「鬱陶しいことですね」と言葉をかけられました。かけられた方は返す言葉に戸惑われたのか、「はぁ」と気の抜けたお返事でした。
 お二人の間を通り抜ける私も気不味い雰囲気。そこは笑顔で、「よく降りましたね」とか「ようやく上がりましたね」でしょう。
 あんなに降り続いた雨が上がることは、うれしいことですものね。
 てくてく歩いて川端まで来て、水嵩がおそろしいほどにならず、音もそれなりで安心して、歩いていたら、あんなに雨脚が強かったにも関わらず、葉鶏頭が倒れもせずに鮮やかに色づいているところに出会いました。
 植物はこの長雨に相当な痛手を受けていると思われましたが、どっこい、そんなに柔では生き抜けません。柔らかに見える草花が持つ逞しさに学ぶ朝でした。

 
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 歩き初めた時には、遠くの山々には霧が美しく立ち上っていましたのに、いつの間にか消えて、青空の欠片を見つけたときには、やったぁ!と思いました。
 雲間の青い色がどれほど希望を抱かせることかと再認識したことです。
 
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 雨が上がることがこんなにうれしいのですから、「雨あがる」を題名にされた藤沢周平の意図が推察できそうです。
 それを映画化された黒澤明監督。
「何をしたかではなく、何のためにしたか」というセリフを入れて、ご自身の人生の集大成にしておられます。
 人は優しくなくてはならない。その優しさの裏には悲しさを秘めている方がよい。なぜなら、両方を持つ者にこそ本物のつよさが生まれる。
 つよさを持つ者が再び歩き出すシーンに「雨上がり」が使われました。
 雨が上がった瞬間は、みんなの胸に希望がわく不思議な力を持つ時です。