昨日、箕面の滝まで行ってきました。
厳しい残暑の昼下がり、そんな時間に上がっていく人はさすがに少なくて、下りてくる人ばかりが目立ちました。
なぜでしょう。たとえ、滝までというささやかな目的であっても、それを達成した人の顔は生き生きと和んでいるのです。弾んだ面々を横目に、幸せのおすそ分けをいただきながら進んだことでした。
箕面の滝は昭和42年の大雨で壊滅的な被害を受けました。谷が大きな岩で埋め尽くされていたのを見た記憶があります。
ちょうど、私が中学2年で我が家も床下浸水したのを覚えています。次の日、学校で被害調査があったほどの災害はこの地では珍しいことでした。
それを契機に滝の上流に箕面ダムを作って治水に万全を図るようになりました。だからといって、今の瀑布は作り物ではなく、自然の降雨が流れていると説明されています。
滝道に入れば、体も息も緑に染まること請け合いです。
コロナ禍に疲れた人も自分を癒すことができます。知らないうちに、いのちの洗濯が完了する得難い場所なのです。
滝道の入り口に箕面市の大功労者である笹川良一さんがお母様をおぶっておられる石像があります。
「母背おい宮のきざはしかぞえても
かぞえつくせぬ母の恩愛」
と、刻まれています。
笹川良一さんが親孝行のために設置されたのだろうくらいに思っていました。
昨日は犬も連れていなかったので、滝の側にある看板『頼山陽の歌』を、あらためて読んでみました。
「萬珠 沫をそそいで
秋暉に砕く
仰ぎ見る 懸泉の翠微を画するを
山風 意を作して
気勢を争ひ
横さまに紅葉を吹いて
満前に飛ばしむ 」
漢文が読めないので、木崎好尚様の訳で写してみました。
漢字は不思議な力を持っています。こういう奥深い境地を読むと、平仮名では表しきれないものがあります。
漢字は奥深さを、平仮名は優しさを表すものだから、当たり前かもしれませんが、漢文を使いこなした先人には尊敬の念を禁じ得ません。
ところで、その看板に「頼山陽が老母を連れて、この滝で過ごしたことから、この滝を一名“孝養の滝”と呼ぶようになった」と書いてあるではありませんか。
ここで、初めて笹川良一さんとつながりました。
この滝道は孝養の道だったのです。
背負ってもらって上りきったところに流れ落ちる滝を見た時の母の喜びが伝わってきます。男の子は優しい。母親は涙が滲んでも口に出さない。そんな情景でしょうか。
滝道の脇には早くもヌスビトハギ。
聞こえてくるのはツクツクボウシ。
ヒグラシはまだで、小鳥は四十雀。
来月になったら秋色に模様替えした山にまた来るつもりです。