秋といえば萩の花。ですが放っておいたら萩屋敷になりそうなくらい繁殖力を持つ花でもあります。
息子が仙台に行ってたころに、仙台萩という名前に惹かれて一株植えたが最後、というのは萩に申し訳ないから取り下げますが、たくましいことは事実です。
日ごとに育つ様子を横目でみていましたが、草刈りを決行することになりました。
少々の罪悪感が胸に刺ったままではありますが、狭い庭はすっきりいたしました。
片付けたらスッキリ気分になることが分かっていても、お尻の重い私です。
「した時♪しない時♪」ばりの全か無かという一番整理下手な人間には、お掃除上手な人の手際よさに感心するばかりです。なんでも練習が必要とばかり、達人の技を見て本を読んで、いつかやってみようで終わっています。
ただし、捨てることは潔いほうだと思います。勢い余って要るものまで棄てたりして。
中村メイコさんが『一番大切なものから捨てる』という本を書かれたと聞いたとき、捨てることに頓着ない私でも一つだけ棄てられそうにないものがあることを思い出しました。これを残していったら子供たちには重いだろうと思い悩んでいます。
それは、おばあちゃんお手製の「市松人形」です。昔は、女子の孫ができると母方の祖母が日本人形を贈る風習があったようです。
七十年間、おばあちゃんの代わりに私のそばで成長を見守り続けてくれました。おかげで難なく過ごせたことに感謝です。
祖母の仕事を見てきたように言うのは気がひけますが、手先が器用な人でしたから、この人形を見た人は柄選びから縫製まで見事だと誉めてくれます。帯や帯締めなどの小物もすべて手縫いです。
着物を縫い上げた後、近くの松屋町でお顔の気に入った人形を買ってきて着せました。そこなのです。私が解体できないのは、おばあちゃんの着付けということを、母から聞いているからです。その時の祖母の匂いが染みていると思うと触れないのです。
そうでなければ、今流行りの額縁に着物だけを入れて飾ることも考えられるのですが、前身頃の見事な浮かし方などを見ると、それを畳んでしまうことがしのびないのです。
どうしたものでしょう。
子供たちは、「日本人形は怖い!」といって愛着はなさそうです。いつか、決心しなければならない私の仕事ですが、もうしばらく、もうしばらく・・・。