こころあそびの記

日常に小さな感動を

『一日一生』を読んで

f:id:snowrumirumi:20210910183926j:plain


 お寺の門前掲示板に張り出されている言葉を、いつの頃からか、興味を持って読むようになりました。
 本寺から送られてきたカラー印刷されたものでも、住職さんの手書きでも構いません。そのときの心を励ましてくれるものなら、このお寺の前を通ってよかったと思えます。
 神社は一括で神社本庁から配布されるようです。だから、どこの神社でも月替わりです。
 今月は『今日も生涯の一日なり 福沢諭吉』です。朝のお参りで、この言葉を目にするとき、今日も一日大切に生きようという気持ちを新たにできる言葉です。
 私なんか記憶力が悪いから、繰り返して学ばないとすぐ忘れてしまいます。その点、こうやって毎日新しい心にさせていただけるという朝のお参りはありがたいことです。

f:id:snowrumirumi:20210910194057j:plain

 今日は美容院に行きました。
 待ち間に読める本はないかなと、通りすがりの本屋で『一日一生』(酒井雄哉著)を目にしました。自分の本箱にあるように思ったのですが、予約時刻も迫っていたので買ってしまいました。
 「どんなにひどい目にあっても時間が経てば、いろいろな経験の意味がわかるときが来る」と書いておられました。

 二学期が始まって、テレビでは登校したくない子供をどう守るかという話ばかりが放映されています。
 世の中には、登校したくてたまらない子供もいるのですよと、片手落ちの知ったか放送をにがにがしく聞いています。
 登校したい子供には、お友達や先生に会えることが楽しみで早く学校に行きたいなぁというタイプと、家に居たくないから早く出て行きたいというタイプがあるのです。両者をごちゃ混ぜにしてほしくないと思っています。
 かくいう私も厳しい母から逃れられるから、登校を選ぶ生徒でした。
 でも、酒井阿闍梨のお話ではありませんが、そのつらい経験が今の私を作ってくれたと、今頃になって母なりの親業を評価できるようになりました。
 多分、母は子育てが得意ではなかったのでしょう。そういう母とのこの世の出会いは深い縁があったのだと、心底分かるようになりました。

 そして、『一日一生』です。
 動物の心臓が一生に打つ回数は20億回といわれます。ネズミも象も同じ回数です。
 では、ネズミのほうが短い人生で、象のほうが長いのでしょうか。それが、どちらも同じだそうです。
 いわゆるネズミ時間と象時間。個体がもつ時間の流はその種に独特のものらしいです。

 それを知ったとき思いました。
 私たちも一人一人が自分だけの時間の流れの中に生きているのではないかと。
 せっかく生かされているのなら、自分らしい時間の使い方をしたいものだと読み終えたことです。