こころあそびの記

日常に小さな感動を

ひこばえ

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 昨日の夕方、東から西に向かって真っ白な雲の帯が伸びていました。特になにがあったわけでもない静かな日であっても、空にこんな雲があるだけで儲けモンと思ってしまう変な癖があります。

 田中修先生のご本を見かけたので、また読んでしまいました。分かりやすくてためになります。
 発刊が今年の春なので、コロナについて巻頭で触れられていました。
 (1)動き回らない→自粛生活
 (2)話をしない→マスク生活
 (3)密をさける(過密を嫌います)→三密回避
(1)から(3)の植物の特性は、今私たちが強いられている状態と同じです。
 地球に生まれて五億年を生き抜いてきた植物たちの知恵は計り知れません。たくさんの経験から導かれたものであるなら、人間はその一つ一つをじっくり検証する価値がありそうです。
 植物は動かない選択をした結果、自給自足できる力の増強と、助けを依頼できるシステムを考え出しました。
 私たちは今、自粛生活の中で遮断されても生きていく方法を考えるように迫られています。そして、相互扶助というシステムの必要性をようやく構築し始めたところです。まさに後追いですね。
 植物はものもいわず、じっとしていても生きていける策を長い年月をかけて練ったものと思われます。地球に生まれてまだ20万年の人間は、まだまだ成長の途上にあるのかもしれません。

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 町なかに、保存林という立て札を立ててもらった大木をみかけることがあります。クスノキ、エノキなどが多いようです。推定年数500年。誰も見たことのない昔々を知っている樹木です。
 いつも行く神社にも保存林の立て札がありました。
 見上げたところそれらしき大木がないので、どうしたのかとよくよく見れば、バッサリ伐られていました。
 ところが、その太い幹から“ひこばえ”が芽を吹いて青々と育っているのです。
 “ひこばえ”は普通は根元のあたりから出てくるものですが、この大きな木は幹の上の方、7~8メートルのところで伐採されています。落雷でもあったのでしょうか?その切断部に近いところから逞しく芽を吹いているのです。
 そういうのを”胴吹き“というそうです。
 
 いのちをつないでいくための工夫は植物のほうが、何枚も上手です。
 人間はポキンと折れたらそれまでです。
 植物は折れても伐られても、根っ子のかけらからでもいのちをつなぎなす。草抜きをがんばってもがんばっても、気に入った場所なら芽を吹きます。嫌いな場所なら潔くさようならです。
 人間は最後は弱いことを認めて医療に頼らざるを得ない存在です。でもそれだけでは悲しすぎます。医療ひっ迫は政治の落ち度だと嘆くよりも、たくましく生きる植物に倣う生き方もあるはずです。
 『荘子 内篇 人間世』に「散木」という話が出てきます。小賢しく生きるな。ドーンと生きろという感じでしょうか。