露草が朝露に濡れて群れていると、つい足を止めてしまうのは、その花の色の鮮やかさのゆえでしょう。
英名をDayflowerというそうですから、朝咲いて夕に萎むという儚さが、愛されたことは想像できます。
「月草のうつろひやすく思へかも
わが思う人の言も告げ来ぬ」
(月草之徒安久念可毋 我念人之事毛告不来)
万葉集、巻4-583番。大伴坂上家之大娘が大好きな家持へ気持ちを吐露した歌です。
月草とは露草のこと。
朝の露草を見れば、夜のうちに月の雫を受けて咲いたのかしらと見まがうというのは言いすぎかな。単にツキクサがツユクサに変音しただけなのでしょうか。
他にも、花草、蛍草、青花と別名がたくさんあるくらいですから、昔からいのちをつないできた植物のようです。なかでも、「着き草」という名前が直接的で面白いと思いました。
花弁を擦ると青色が着きやすいからと付いた名前です。2000年前、染色技法が伝わる前の日本人は、花を直接、麻布に擦り付けて染めていたといいます。指を青色に染めながら色を移す作業をしている女達の様子が彷彿と蘇ります。
子どもが今もしている色遊びは、万葉人もしていたのですね。そう思うだけで時空が広がる気持ちがします。
三好達治が感じたツユクサの宇宙観は、初めて宇宙に飛び出した宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という言葉と重なります。
染色家の吉岡幸雄さんが著書『色の歴史手帳』の中で、藍染のことを語られています。
生の藍の葉を刻んで水に入れて、藍色を揉みだした中に絹糸を入れて染めていくと、「まるで澄んだ空のような藍が染まっていく」と。
青色は、空や、それを映す海を想い出させるふるさとの色です。高揚する色というよりは、心が落ち着く色。心静かになったとき、本当の自分が映る色かもしれません。
色彩を学んで、一番印象的だったのは日本の色名でした。この美しい日本語は伝えていきたいものです。
「甕覗(かめのぞき)」甕にちょっと浸けただけの一番淡い青色です。
次に少し濃くなって「浅葱色(あさぎいろ)」。そして露草の色である「縹色」(はなだいろ)と順々に濃くなっていき、藍色に到達します。
縹色にも薄いものから濃いものまで段階があります。
私は「薄縹」という灰色を帯びた淡い青色が好みです。
さっき、庭で集めた露草で染めてみました。子ども心になって、色を作ることは本当に楽しい作業でした。