海水浴客が繰り出した海も静かになった頃かと想像します。
「今はもう秋。誰もいない海」であっても、人は海を見に行きたいものです。この私も海が見たくなる人間です。
大阪駅から山陽本線で、明石海峡を車窓に望むだけでも気分が入れ替わります。
また、新大阪、天王寺からくろしお号に乗るのもいいですね。田辺あたりで停車して、車内に車掌さんの「右手の景色をお楽しみ下さい」という親切なアナウンスが流れます。また聞きたいな。
そんな、瀬戸内海も太平洋も、今はおあずけです。
コロナ禍が去ったあかつきには、一番に海を見に行きたいと目論んでいます。
「 耳 ジャンコクトー作 堀口大学訳
“私の耳は貝の殻
海の響きを懐かしむ”」
いつか浜辺で拾った巻き貝を耳に当てると海潮音が聞こえて来る。潮の音は生まれる前の懐かしさを思い出させます。聞けば、落ち着く音なのです。
先日、リビングのテーブルの上に置いてあった孫のテストをこっそり盗み見しました。
こちらは、二枚貝です。
「 貝殻 新美南吉作
かなしきときは、
貝殻鳴らそ。
二つ合わせて息吹をこめて。
静かに鳴らそ、
貝がらを。
誰もその音を
きかずとも、
風にかなしく消ゆるとも、
せめてじぶんを
あたためん。
静かに鳴らそ
貝がらを。」
問い) あなたは、この詩を読んでどんな気持ちになりましたか?
孫は、さみしい気持ちになりました。と書いていました。
詩全体に広がる寂寥感。それは作者の心のさみしさから出てきた感情です。
誰でも知っている童話。「手袋を買いに」「ごんぎつね」「赤いろうそく」などに流れる情緒的なストーリーは、難しくひねったものではなく、その素朴さが心に残ります。
彼のこうだったらいいのにな~の気持ちは、母をなくしたさみしさを源流としているようです。
もう一編。
「 小さい秋見つけた サトーハチロー作
誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた
目かくし鬼さん手のなるほうへ
すましたお耳にかすかにしみた
呼んでる口笛もずの声
小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた 」
サトーハチローさんといえば、放蕩の限りを尽くしてもなお、この繊細さを失わなかった詩人の中の詩人です。
そして、そのように荒れた理由はお母様を21歳のときに亡くしていることにあるようです。
新美南吉、サトウハチローに共通することは、母の喪失です。なぜか、男の子はお母さんが大好きです。
男の子をお持ちのお母さん!絶対に元気で長生きしてあげてください。
生きてあげることが、子供にとって最高の砦となるのです。
時代は変わりました。わざわざ「かわいい子には旅をさせ」なくても、毎日がなんと変化に富むことでしょう。
永遠の安心の港、お母さんがんばってください。