昨日の続きですが、散歩の道すがら黄白色のブーツを履いたサギを見かけました。いつもは水に浸かってるから今まで知らなかっただけかなと、見るともなく通り過ぎようとした時、一緒にいた友達も発見したみたいです。
「あれっ。白い靴はいてる!」
調べてみたら、コサギは白い足であることか分かりました。
友人と同時に発見したコサギの記憶は引き出しにしっかりしまい込まれました。
いつか、コサギを見かけたら、友人と歩いた川縁を一緒に思い出すことでしょう。
これが、テレビの旅行番組だったらどうでしょう。
一瞬、行ってみたいな、美味しそう、と感じても長く記憶に留まることはありません。そうです。匂いも音も寒さ暑さもない、ましてや共有してくれる人間もいない映像は、脳内を素通りしていくのです。
だからといって、知らない土地の映像が無意味というわけではありません。決して行けない場所へ仮想旅行ができることはありがたいと思っています。悪しからず。
新聞の投稿欄に、「母と同じような咳をするたびに母を思い出す」と書いておられる方がありました。
それを読んで、私が母を思い出すのはどんなときかと考え込んでしまいました。厳しい母でしたから、思い出すのは叱られたことばかりです。
ただ一つ、今でも車の運転中に眼前に広がる神秘的な光芒を見ると思い出すことがあります。
それは、母を山中温泉に連れて行った帰り道でした。
帰路を急ぐ夕刻のこと。進行方向全体に降り注ぐ天使の梯子が美しくて、まるで夢の中を走っているようでした。
思わず「きれいやね、天使の梯子っていうらしいよ」と声をかけたら、「見たことない」というのです。本当に?天使が上り下りするという天空のパノラマを見たことがないの?
難波の真ん中で育ち、戦争中に青春を過ごした母は、空を見上げることもなく結婚をして、それからというものは、心休まることのない日々を過ごしたことに今更のように胸が痛みました。
空を見て心を解く余裕もなく、気を紛らわす方法さえ知らずに逝ってしまいました。
そんな現実に翻弄された母の子供だから、私はしんどいことから逃げて暢気に天を見上げては心を解放する癖がついたのかもしれません。
エンゼルラダー。母を手繰り寄せる梯子です。