今朝、空を見上げたら、ド近眼の目に月影が丸く映りました。ひょっとすると思い込みかもしれないと携帯で写真を撮ってみたら、やはり丸く影が見えました。今日は月齢27ですから、眉月のはずですが、太陽がすぐそこに上ってきているので、太陽の光が月を取り巻いたのでしょう。
薄明だから見える現象です。
今回見たのは星明かりが一つずつ消えて、朝が始まる薄明。反対に紺色の空に一番星が見え始める時にも薄明という時間帯があります。
選手交代劇は、起床や夕餉の準備で慌ただしい時間に
過ぎていきます。惜しいことです。
夕方の薄明で一番星を見つけられたら、幸せ気分。反対に朝の薄明で一つずつ星が消えていくのは、朝なのに消失感が残ります。
天空の一番ドラマチックな瞬間は薄明にあるようにも思えます。
さて、地上では十月に入りましたのに昼間は三十度越えの日が続いています。
そうはいっても、朝夕は秋の気配が。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる」
秋になれば必ずし引用される藤原敏行作の和歌です。秋は「風」で知らされるものと言っています。爽やかさを運んでくる風です。
近くのお寺に「煩悩を彼方に運ぶ秋の風」と掲示されていました。
これは、春の風ではないのですね。春は希望を運んでくる風です。
秋の風は消し去ってくれる風です。夏に抱え込んだ重い荷物を、秋風が持って行ってくれます。
天空に薄明という時間があるように、今、地上でも夏と秋が交替中です。まさに地上の薄明期。
陰陽がせめぎ合っていながら、決してバックはありません。季節は必ず前に進みます。
季節感がなくなったといわれます。なるほど昭和時代とは変質しているかもしれませんが、それでも、夏は暑いし冬は寒い。
四季がなくなったと嘆いていては鈍感になるばかりです。
自然の変化に鋭敏だった先人の感じ方を倣えば、秋を十分に堪能できる気がしています。