こころあそびの記

日常に小さな感動を

親の子となり子の親となり

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 「  ママ   田中大輔(3歳)
  あのねママ
  ぼくどうして生まれてきたか知ってる?
  ぼくね ママにあいたくて
  生まれてきたんだよ」

 何回も何回も引用してごめんなさい。
 大輔くんはもういくつになられたかな?
 これほど深遠な意味をもつ詩を当時3歳の坊やが書かれたことに驚きとともに、今に至っても考えさせられることが多い詩です。
 親になったすべての人に読んで欲しい。できることなら、母子手帳に載せて、この縁が故ないことではないと知ってほしいと願ったこともありました。
 でも本当は、私の疑問を解く鍵だから大切に思ってしまうのかもしれません。

 私はどんくさくて、お世話が下手くそな人間です。子ども達に謝らなくてはならないことです。
 そこへ生まれてきてくれた末娘は、正反対の世話好きです。
 大輔くん流にいうと、「あそこに、見ておれない不器用な母親がいるから、ちょっと行ってみるわ」という感じで生まれてきてくれたのでしょうか。
 三人の子育て中にもかかわらず、犬のシャンプー、お花と菜園の手入れ、熱帯魚の世話までどんどん手を広げています。

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 そんな娘が今はまっているのが「オオスカシバ」です。
 保育士として、幼児を公園に連れて行ったとき、ドングリ拾いのはずが、ヘンな形のものが混ざっていたところから始まりました。
 ドングリのようで、ドングリよりも長くて黒くて模様があるのです。
 それが「オオスカシバ」の蛹でした。
 たまたま庭のクチナシに幼虫がいたので、それを桶に入れて飼い始めました。猛烈な食欲でクチナシを食べます。
 そして、ある日。「お母さんたいへんや。黒くなってグルグル回ってる。」その報告の次の日には動かなくなって、かけてやった土の中に入ってしまったとのこと。
 土の中で越冬して来春に飛び出すそうです。気の長い話です。
 私にはこんな度胸はありません。
 
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 親をサポートするための子供ばかりではなく、十人十色。様々な関係があることは、周りを見渡すと分かります。
 私の子供から見れば助けざるを得ないという縁でしたが、自分の親に対してはどんな関係で生まれてきたのか、未だにわかりません。
 精神科の先生の言葉を久田恵さんが引いておられました。
 「子供は、親のなした人生の謎を解く為に生きてしまうもの」と。
 今朝この言葉を見つけたとき、腑に落ちました。
 なかなか納得いく説明が得られないここまでの人生でしたが、両親がなぜあのように生きたのか、私が関与したのはなぜなのかという謎解きに、残りの日々を費やしたいと思えました。