河内長野の岩湧山で秋海棠が見頃を迎えているとの情報をお友達から頂きました。もとは、中国からやってきたらしくて、中国ドラマのタイトルにも使われている可愛らしい花です。
河内長野は小学校の教科書に千早赤阪村が出てきた時から知っているにもかかわらず、行ったことのない日本のチベットです。
えい!と気合いを入れて挑戦したい場所です。
さて、突然ですが、名前は、生前から決まっていると聞いたことはありませんか。確かに、候補となる名前をいくつか考えていても、生まれてきた子どもの顔を見るまでは決定できないことからも、全くの作り事とも言い切れないところがあります。
また、名前には流行り廃りがありまして、名前から直ぐに出生の年代、はたまた年齢までばれてしまうこともあります。
今は、一時のきらきらネームは影をひそめて、男の子も女の子も「陽」という字が人気のようです。自然回帰の傾向が続いているということでしょうか。この年代が地球を背負う時には、必ず自然との対話が必要になるはずですから、この巡り合わせは偶然ではないように思って見ています。
それにひきかえ、私の頃はなんと簡単な名付けだったことでしょう。なんとか新しい時代の匂いを添えたいと考えた結果、平仮名の名前が登場しました。私の名前も新聞小説に出てきたからという理由で、祖母が選んだそうです。当時の流行ネームですから、小柳ルミ子さんと同い年とすぐにばれます。
昔から女性の名前は、大方が「平仮名」か「片仮名」でした。なのに、戦後にハイカラネームを探したら平仮名に逆戻りとは面白いことです。まさに流行は繰り返しですね。
それでも、大好きな祖母が付けてくれたのですから、ありがたく使ってきました。
ただ、一つ、書を書き上げて最後に自分の名前を入れると、雰囲気が総崩れするように感じていました。自分の力量を棚に上げてごめんなさい。
だから、本当は長い間、漢字の名前に憧れがありました。
さて、先月から、大形徹先生の「書画篆刻の会」が始まりました。
一回目は名前を篆刻彫りしてくる宿題が出ました。さてさて印を彫ろうにも、平仮名ではどうも締まりません。平仮名の音を漢字に直すにも教養不足で、思いつく漢字が限られていて、どうも納得いくものがありませんでした。
そこで、この悩みを先生に相談しましたら、即刻考えてくださいました。
中国語の発音で「rumi」となる字を当ててくださいました。
それが「如迷」という二文字です。
水の如し、とか、翔ぶが如くの「如」を一字目に示してくださったときは、次に何が来るのかとワクワクして待ち構えました。
ですから、先生が二文字目に「迷」と言われた時には、人生の荷物が一つ増えたように頭が混乱しました。あれもこれもと欲張りな人間であることを、先生に見透かされていたのだと恥ずかしくなりました。
深く考えすぎると迷路に入り込んでしまいそうです。それでも、迷うが如しという高い目標ができたことは最高にうれしいことです。心に迷いが生じないように戒めていただいたものと受け取りました。
常套句ではありますが、これからはこの名に恥じないように生きていけたらと念じています。