「今日、何かいいことありましたか?」と訊かれて「はい!ありました!」と答えられる日ほど素敵な一日はありません。
いつもの川沿いで足を止めて、コサギの可愛い色のブーツを見ていたら、目の前を青い影が左から右へと素早く横切りました。
小さくて背中が青くてお腹がオレンジ色でした。
「カワセミに違いない!」と嬉しくなりました。
虹と一緒です。出会える日は奇跡です。川の宝石、川蝉は小さい体に合わない鋭い一声を残して消えていきました。
住んでるんだ。それを知ったことで、重くなっていた足が少し軽くなったように思いました。
一日一善ならず、一日一喜。気持ちが震える一瞬があれば、その一日はスペシャルになります。
はしゃいだ気持ちがいつか思い出されるだけでよいから、何月何日と記録はしません。
あ~なんて素敵な出会い。そう思うことで十分幸せです。
自然のすがたにはこんなにあまあまなのに、人間の事となると、途端に怖がりになります。
あの人こわそうだね、と言った私に友人がこんな言葉を返してくれました。
「それは、一面ですよ。あの人の中にもきっと優しいところがあるはずですよ」と。
そうなんですよね。
仕事場で鬼!と思われている人が、家に帰ると家族思いの良妻賢母という例を何度も見てきました。
人は、自分の中でバランスしているところがあるのでしょう。見た目で決めつけてはいけないと友人から窘められたことは恥ずかしいことでした。
個性が尊重される時代です。
それでも、仏頂面で対応されると気持ちが萎えることがあります。にこやかに対応してもらうとそれだけで心が緩むのが人の性。
でも、真似しようとして、嘘の笑顔を作っても、それは見抜かれてしまいます。
作り笑いではない笑顔は、内面の充実感から自然と滲み出るものですから、生まれつき持って生まれたのでもない限り、時間をかけた鍛錬が必要です。
マナー教室で学べば外見は矯正できることでしょう。しかし、教室で矯正できる部分と一朝一夕には矯正出来ない部分があることは知るべきです。一説に、矯正には、そうなるに至ったのと同じだけの時間が要るといわれます。
だからといって鬱ぐことはありません。大人になって教えてもらっても出来ない部分に人生の課題が隠されていると私は思っています。それを深く探っていくところに、真の成長があるような気がします。
今朝、書評欄に載っていた『「育ちがいい人」だけが知っていること』(諏内えみ著)というご本。刺激的なタイトルから内容を想像するに、そういうことなのかなと思った次第です。
和顔施。清水寺の管長だった大西良慶さんの笑顔は本当に人を癒やす力がありました。あんな笑顔の達人でも、そこに至るまでの道は一筋縄ではなかったはずです。すべてを削ぎ落せば笑顔美人になれることを教えてくださっています。