毎日、下手くそな運転にもめげずに走りまくってくれる愛車。たまにはメンテナンスと思ってディーラーさんに預けました。
そのとき、整備士さんにオイルはなぜ汚れてはいけないのかと素人質問してみました。
「エンジンオイルは人間でいえば血液みたいなもんですから、汚れたオイルは接合部を不具合にして、さらにはそこから漏れ始めるのです」というお答でした。
車のエンジンは人間でいえば心臓であり、オイルは血液であることを知りました。
と同時に、人間との決定的な違いが分かりました。車という閉じられた機械の中では、汚れたものはそのままであり、どんどんと溜まる一方です。
人間は、閉じられた体ではあっても、絶えず外部から空気や食料の出入りがありますから、完全なる閉鎖空間ではありません。そして、忘れがちですが、自浄装置という高度な仕組みを持っています。
なのに、血液が汚れていると言われて、あれを食べるようにしよう、薬はこれ、先日宣伝していたサプリメントも飲んでみようかしら、という落とし穴にはまる人のなんと多いことでしょう。
”自浄“ですから、なにも足す必要はないのです。
車と違って、生命体である人間には血液を浄化する機能が備わっています。生きているから、日々、その人にとってベストな状態に調整しようとするのが「いのち」だと思います。
生きている限り、働き続けてくれます。お任せしていることに感謝して、たまには心臓さんありがとうと思い出してみることが、どんな薬より効くと信じてみてはいかがでしょう。
では、人間にできることは何でしょう。
身体のマッサージより、心のマッサージが大切です。
”身心一如“です。身体が疲れたら心が動きません。反対に、心が動かないと身体が不調を訴えるのは、コロナ禍で皆さんが経験された通りです。
病に倒れたときは医療に頼りましょう。
しかし、今や六割を占めるといわれる半病人なら、その原因は心にあります。
補給すべきは、薬やサプリメントではなくて、心を自由に解放しておくことに尽きます。
『詩歌遍歴』(木田元著)のあとがきに、「わたしたちは日ごろひどく振幅のせまい感情生活を送っている。喜びであれ悲しみであれ、よくよく浅いところでしか感じていない。」と書かれていました。
私は、小学生のときから国語が苦手科目でしたから、中学高校と、詩歌などチンプンカンプンで送ってしまいました。
しかし、今頃になって、万葉集や枕草子などを紐解くと、結構面白いことに気付きました。
その頃は幼稚で未熟だったから理解できなかったのでしょう。ありがたいことに、人生の花も嵐も踏み越えて、ようやく生きることの意味がわかり始めました。
先人も私と同じ経験をして、同じ景色を見たというところに同調することが小さな感動を醸成します。
秋風や蕪村も踏みし松ぼくり 丸山哲郎
心のマッサージの方法は人それぞれです。音楽を聴いて癒される方法があり、映画を観て心震わすのもありです。
私の方法は簡単です。花を見る、空を見る、星を見る。それが私の心を鍛えてくれる何よりの薬だと思って過ごしています。
今朝は北斗七星が見えました。それだけで、今日もいい日になると思えば、体がその気持ちに応えてくれそうに思えます。