こころあそびの記

日常に小さな感動を

北アルプスへの憧れ

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 体育が苦手で、高跳びのときには「跨いでも跳べるやろ」といわれ、50m走では「(歩いたらあかん)走ってこい」といわれて、ほとほと情けない思いをしてきました。
 ですから、山登りなんて無謀なことは自分には考えられません。特に数年前に膝を悪くしてからは、毎日歩けることに感謝しきりです。せめて、自分にできる範囲で散歩を楽しんでいます。

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 そんなふうですから、山に登れる人に憧れます。
 友達が高い山の上で両手を広げている写真を送ってきてくれたりすると、羨ましく思うばかりです。
 でも、すべての人が同じ経験ができるわけもなく、できることとできないことの判断ができるようになることが老境に達するということかもしれません。
 ありがたいことに、近頃は美しい映像で山の様子を伝えてくれる番組がありますから、感動は実寸大でなくても、観て知ることができます。
 ご覧になった方もおありかと思いますが、先週、「穂高の涸沢カール」の紅葉が放送されました。
 ヒュッテのご主人はここの紅葉が最高だと胸を張っておられました。それはナナカマドの赤色、ダテカンバの黄色、ハイマツの緑色と三色のバランスがよいこと。高山で樹木が低いため遠くまで見通せるから美しいそうです。
 実際にはどうだったのかは映像からは分かりにくいことでしたが、どうやら最高の紅葉といえる染まり方ではないようでした。
 それは、盛夏に雨が続いたことに影響されているようなのです。
 真夏の太陽を浴びてフル回転してに養分を作るという時間が持てなかった。だから、秋になって収蔵に向かいたくても、イマイチ元気が出ない。そうなると、残りの命をかけて葉っぱを守ろうという赤色もどこか虚ろになるということらしいです。
 葉っぱの一枚一枚が働くべき時にしっかり働くことが大切と教えてくれています。
 紅葉の色や落葉に心を重ねることが秋の楽しみですが、その美しい変化は秘められたいのちのしくみがあってのことだというところにロマンを感じます。

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 同じように、私たち人間も先祖から脈々と受け継いできたいのちのしくみがあります。
 東洋医学では、天から受け取る気と、大地の恵みと、親からもらった精気で、生きていると教えます。
 運動音痴であっても、この齢まで元気に生きてこられたのですから、年々親への感謝が増してきます。若い頃の自分にはなかったものです。

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