こころあそびの記

日常に小さな感動を

金木犀の香りと光

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 滝道に入る手前に毎年、秋限定のお店が出ます。
 先日、通りかかったら、ザクロが置いてありました。この裂け目を飾るルビー色はなんと絵心をそそることでしょう。ただ鑑賞だけのために買って、この造形の複雑な美しさに見とれています。
 さて、私がお店のおばさんと話していたら、後ろから「栗は?いつもあるやつ」と男性の声がしました。「今年は早かったんや。もうおしまいや」といわれて、「いつもあるやん」と残念そうに帰って行かれました。
 今年の銀寄せ栗は早かった。よく見れば、お店の片隅に「銀寄せは終了しました」と貼り紙がしてありました。
 栗を剥く元気が出ないので、近頃、買ってないなぁと思いながら、おばさんにすすめられるがままに富有柿を一列買いました。曲がった腰の店番のおばさんから買うことが滋味を予感させます。
 柿も近頃の子どもたちには好まれない果物かもしれません。サルカニ合戦ではありませんが、柿の木に登るという遊びができる環境がなくなってしまったからでしょうか。
 でもでも、買って帰った柿は最高においしかったです。なんでも、今年は生り年らしくて、柿のハズレに当たることがないことが嬉しいことです。
 お腹を冷やさない程度に、秋の実りを実感できる柿を食べたいと思っています。

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 今、外に出れば香ってくるよい匂い。
 金木犀が盛りです。我が家も数本あるのですが春に剪定をしたからか花の数が少ない秋になっています。
 塊で咲いているところを写真に撮ったのですが、ブログに上げるにはわびしいかなと思って、職場近くの神社に行ったら、咲いてました!
 朝の光を受けて、名前の通りに金色に輝いているところが見られました。金色の光と香りに包まれて、贅沢な朝の時間を過ごせたことが、「今日も生涯の一日」という言葉と符合して幸せでした。
 
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 金木犀の「犀」という字で思い出す有名なフレーズがあります。
 「犀の角のように ただ独り歩め」というブッダの言葉です。これは、中村元先生の名訳として知られています。
 昔、何を求めているのか分からずにいた頃に、中村先生の『ブッダのことば』を読んで腑に落ちた言葉です。
 人はある時期、何かを掴むまで孤独に突き進むことも必要ですが、現代は「絆」という言葉に代表されるように人と関わることの方が良いような風潮があります。
 昨日、起きた悲しい事件も、孤独感から発したこと。ひょっとして、ハロウィンの群衆の中の誰かが声をかけたら思いとどまったのか、そう簡単なことでないのか。生きるということはつくづく難しいことだと思いました。