雨に濡れた欅坂は、一段と赤茶色が幅をきかせているように見えました。日々趣を変えていくところがケヤキの真骨頂です。
ところで、朝刊にイラストレーターの山藤章二さん(84歳)が週刊朝日の人気コーナー「ブラックアングル」を修了される由、発表されていました。昭和51年から始まって、今日まで40年以上連載されたとのことです。
山藤さんのイラストを見れば誰でもフムフム納得、あるいはニヤッとできる作品群でした。
止めるに至った理由にクスッさもありなん、と笑ってしまいました。
「(体調に問題はないが)、最近の政治家の顔を見ていると、あまり描く気にもなりません」
ですよね。三角大福といわれる三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田 赳夫を知っている世代にとっては、何だか物足りない近頃の面々ではあります。
近頃は、特に俳優さんは皆さん同じに見えます。美しい時代に育ち、これが美のサンプルだというものを見過ぎて没個性になってなってしまったのでしょうか。
町でテレビで見かける女の子も同じです。
YouTubeなどで頻繁に目にするものを、化粧品会社のコマーシャル通りに真似すれば、元のお顔はどこへやら。
飼い犬が主人に似てくるのも、夫婦が似てくるのも見つめ合ってる時間が長いことに由来しているのかもしれません。もっとも、結婚相手に似た人を選ぶというのは、目の中の残像というよりももっと古い記憶と考えられますが。
その見つめ合うときに、無意識にある選択をしていることも考えられます。
好きなところだけ見ているとか。
耳で音を選別するのと同じように、人は目でも見たいところだけ見る癖があります。
たくさんの人が違うところを見ているから、好き嫌いに大きな混乱がないことが救いです。
しかし、同じ映像を見て育つ弊害が出てくる可能性も排除できない時代になりました。それとも、宇宙世代には見た目は要らないのかもしれません。もっと、違うアピールの仕方になるかもしれないですから心配無用ですね。
昔、同級生と隠岐の島へ渡るフェリーの甲板から、海を見ていたとき、「この青い色はみんな違う色に見えているんだよ」と美術部の彼女がつぶやいた一言が記憶にあります。
人それぞれに違って見えることが当然なのに、なぜか、違っていてはいけないような風潮があります。
違っていてもいいんだよ、という勇気ある人が少なくなって、見た目まで似てくるのは少しさびしいです。
そういう私は見ることが下手くそです。
母と一緒に出かける度に「じろじろ見てはいけません」と言われて育ったからです。
これが礼儀であるうちはよいのですが、もういいや、と周りに無関心になるという落とし穴があります。
それではいけない。と、細かいところまで見る練習に落ち葉を拾ってきてはスケッチして、色鉛筆で塗ってます。もう間に合わないことは重々承知の上で。
そうそう、昨日の補足ですが、加藤博子さんのどこに賛同したかという箇所を書き出しておきます。
「最期の死の床で、あなたは何を感じるでしょうか。動くことはできない。鼻も利かない。目も見えない。そんな中でかつての様々な光景が脳裏を駆け巡ります。その時を豊かにしてくれるものは、何かを感じていたときに自分が心に刻んだ記憶です」
私達が幸せになる方法は毎日を大切に生きて豊潤な記憶を残すことに尽きるように思います。