「世界は色彩にあふれている」と思いませんか。
モノにあふれている現代にあっても、自然界の彩りは負けていません。人間が理論的に作った配色には真似のできない美しさがあります。
中でも、「もののあはれは秋こそまされ」と平安人が思ったように、錦繍の秋にはしみじみとした趣があります。
それは、春のパステルカラーではなく明度も彩度も下げた色合いですから、ある程度の年月を生きてきた人の心に、より親和性があるといえるかもしれません。
そんな秋色の中にあって、意外に多いのが「赤」と「緑」の組み合わせです。錦繍という複雑な色模様ではなく純色ですから、緑の葉の中に真っ赤な実がくっついていると目立ちます。
補色関係だから強烈な印象を残すからこそ、「スーパーマリオ」もこの色を使っていますし、もうじき街を賑わすクリスマスの飾りもこの二色です。あっ!クリスマス!と感じることができる幸せは目から飛び込む情報から始まります。
自然から学んだ見事な色見本です。
「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた♪」
なぜ、木々の実が赤いのでしょうか。
小鳥さんに食べてもらいたくて赤色を選んだのでしょうか?
そもそも、小鳥は赤い色がわかるの?
どうして自然界は一歩踏み込むだけで、こんなに疑問にあふれているのでしょう。
近代科学が解き明かせた部分は何パーセントなんだろう。果てない自然の奥深さを知れば知るほど疑問が膨らみます。
『眠れなくなる宇宙のはなし』(佐藤勝彦著)を読んでいたら、宇宙世界で解明できているところは、わずか5%だといいます。95%が分からないということは、ほぼ分かっていないということです。
紀元前から、ピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンなどの天才が考えてきて、やっと5%です。
その状態で、月や火星に移住する計画がまことしやかに語られています。千年後の話ではありますが。老婆心。
現代人はなんでも分かった気でいますが、少し冷静になってみれば、分からないことだらけの不確かな儚い存在であることに気付きます。
その浮き草の心を強くしてくれるのは自然です。季節の移ろいが目に映るものの色模様を変化させ、体と心のマンネリ化を避け、次のステップに運んでくれます。
そうして、その季節に相応しい感受性を準備するわけです。
「秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも数ある中に
松を彩るカエデやツタは
山の麓の織る錦」
枯れ葉色の中の赤色と緑色の組み合わせは、心を躍らせます。誰が考えたのか、そんな気持ちにさせる配色の妙です。
捕鯨に挑戦している若者が、「波の音だけしか聞こえない海の上にいると自然と一体化していることを感じる」と話していました。
家の周りを歩こうが、宇宙旅行を企てようが、捕鯨に携わろうが、見える世界、感じる世界が教えてくれるものを大切にしたいと思います。
それが、地に足を着ける唯一の方法だと思うからです。