落ち葉を踏む音、枯れ葉が風にそよいで舞いちる様子、静かな森の中にドングリが落ちてくる音も、晩秋ならではのものです。
森の中でひとりを存分に楽しめる季節です。
昔、漢方の師匠に「自然を見てたら、体の様子も分かる」と教えられたことがあります。
漢方を勉強し始めたばかりでは、まだまだ浅い理解でしたが、今になって合点することの多いことです。
秋、枯れ葉の様子から何を読み取ることができるでしょう。
乾燥のシーズンですよね。葉っぱがカサコソ音をたてる様子を見たら、私たちの体も乾燥に晒されていることを推して知るべしです。
保湿剤が手放せなくなるのは、自然に起因しています。
ましてや、年齢を重ねると、体の陰が減っています。
ここでいう陰は、早い話、水分です。
中から減って、外から減らされて、悲しいことにシワシワです。だから、中には痒みを訴える人もでてきます。
また、秋は収蔵の季節。木々も葉っぱを落として、来る冬に備えて出入り口を閉鎖します。
私たちの体でも同じように、毛穴を閉じて、出来るだけエネルギーの無駄使いを減らそうとします。
温まろうとする長風呂や、辛味を取り入れた温かい食事で、汗をかきすぎることにより、かえって“気”を浪費する事は注意が必要です。
お年を召した方でも結構ご存知ない方が多く見受けられます。
それは、西洋医学だけに偏った啓蒙がそうさせたのだと想像がつきます。
西洋医学はまだ百年くらいの歴史です。
それに比べて江戸時代まで、人々を守ってきたのは東洋医学です。その頃の医学なんて子供騙しでしょとおっしゃる方がおられます。
そんなことはない、何千年と人間の目で観察してきたことが間違いだらけのはずはありません。
医者と患者の関係は一方通行であってはならないはずです。しかし、現在は「先生には言えない」とか「先生がこわい」と、全くの上下関係になっているシーンを見聞きします。
その大きな理由の一つに、体の仕組みを知らないから、医者に自分のいのちをお任せになっていることがあげられます。
命を掴まれてるから医者は強い、なんて言われたら名医は恥ずかしがるはずです。
ところが、開かれた社会、平等が叫ばれていますのに、医療には当てはまっていない、つまり、医療だけは前時代に留まっています。医学部のカリキュラムに人間を見るという科目が入ることはいつのことでしょう。
もちろん、病気になれば医療にお世話にならざるを得ないのは当たり前です。
しかし、毎日そこそこ元気に過ごせているなら、薬を飲んでるから大丈夫ではなく、もう少しだけ自分の体のことを見つめてあげてはいかがでしょう。そのヒントは自然の中にあります。
昨日今日明日とドンドン寒くなります。
寒くなったら肩を丸めて固まります。固まったら血流が悪くなってあちこち痛くなります。それを、解すのは暖めること、冷やさないこと。「不通即痛、通即不痛」です。
すべて、自然が教えてくれています。