美しい老婦人。血圧が気になって、なんとなく計ってしまうとおっしゃいます。ドキドキするなどの症状があるわけでもなく、ただ気になるから血圧計を手放せなくなっておられます。
計ってみたら200mmHgを超えているのを目にして、焦って何度も計るそうです。そんなことをしたら血圧はドンドン上がって当たり前です。
そして、医者からもらったカルシウム拮抗剤を含むと今度は急降下して、それはそれで心配なのだそうです。
そして、「老いを生きるのは難しいですね」との言葉を残して帰っていかれました。
数多くの荘子の寓話の中で、浅学の身に印象を残している話があります。
「魚を取るために、筌という道具を使います、
でも、魚を取った後、その筌のことは忘れます。
うさぎを取るために仕掛けを使います。
でも、うさぎを取ってしまったら仕掛けのことは忘
れます。
言いたいことがあったら言葉を使います。
でも、思いが伝わったら言葉は忘れます。」
目標を達成するためには何か手段が必要です。しかし、欲しかったものを手に入れたときには、手段は忘れ去られます。忘れてよいのだと思います。
いのちを生かすと信じて、人はその方策を探し求めます。
健康情報は溢れていますから、、チョイスに事欠きません。
こんな症状にはこの薬。
あの病院よりこの病院。
そんなときにはこのサプリメント。
手術という選択肢もありますよ。
などなど、真剣に悩めば悩むほど元の病気もどこへやらという迷いに入り込んでしまいます。
そんなときには、あらためて生きる意味を問い直してみてはいかがでしょう。
薬も病院も手段でしかありません。
手段に捕らわれていたら平安な気持ちからはドンドンと遠ざかります。先のご婦人は、血圧計に縛られておられました。若いときから長い間、何かに束縛されて生きてきたのです。もう自由になってもいいのではないですか。
そして、大切なことは、生命は体という入れ物だけで生きられるものではないということです。心と一緒だからこそ、他の誰とも違うひとりの人間になれるのではないでしょうか。
なのに、体のメンテナンスに終始していては、お留守になった心が拗ねてしまいます。
心の望みも聞いてあげましょう。心は思いのほか柔軟です。老いたことをしっかり受け入れてくれます。
老いた自分と折り合いをつけることを日頃から練習しておけば、手段ばかりに躍起になることもなくなるように思います。