四季折々のお花が咲く花園。お世話をされているのは、ご高齢のおばあちゃんです。ここを通るたびにドキドキしてしまいます。お元気かな?と。そんな心配をよそに、栽培を続けておられる様子がうれしいことです。
先日、キダチダリアが昨年より株を増やして誇らしく咲いているのを発見しました。なんでも、キダチダリアは挿し木で増やせるらしいので、今年も丹精して下さったことが偲ばれます。
晩秋に、視線よりうんと高いところに元気いっぱい大きな花をつけている姿を今年も見られました。おばあちゃん、ありがとうございます。
先週のお話の続きですが。
セミナーの出席者に野草研究家のM氏がおられます。それはそれは有意義なお話をしてくださいましたので、ご報告したいと思います。
彼は幼い頃、虚弱でいらしたようです。
不調なときにはいつも、お父様から、漢方の煎じ薬を飲まされたそうです。
泥水と表現される煎じ薬は子供には不味かったことでしょうが、なぜか知らないうちに不調を忘れているという経験をなさってきました。
大人になって、親からもらった体を、元気にするために彼が選んだことは何だったと思われますか?
それは、『歩くこと』でした。
半世紀近く歩いてこられたことで、元気に過ごしておられます。
さすがに雨の日は休まれますよね、と伺いましたら、答えは「No!」でした。傘をさしてでも歩かれるそうです。
なぜでしょう?それは、一日でも自分を甘やかしたら、次の日もとなるのが人間だからです。
生き方や心の持ち方が健康に大きく関わっていることが示されています。
彼はこうも言われました。「動物ですから」。
四つ足から二足歩行になったとき、前方の視野が広がったのは、より遠くへ歩いて行くためだったはずです。
『歩くこと』は健康の基本です。
「歩こう歩こう私は元気♪」
世の中は健康法にあふれていますが、歩くことに勝る健康法はありません。なぜなら、全身を使うからです。体中に血潮が巡ります。そのうえ、季節が五感を刺激します。しかも、お金はかかりません。
私は、お医者さんに定期的に診てもらっていますから健康には不安はありません。とおっしゃる方も、では、あなたはいつまで薬を飲みますか?と訊かれたら答えに詰まられるのではないですか。あるいは、それは先生に任せるわとお応えになるのでしょうか。
和田秀樹さんのベストセラー『70歳が老化の分かれ道』には「70歳からは、健康診断も薬も止めましょう」と書いてありますし、養老孟司さんの新著「養老先生、病院へ行く」ではアクシデントの後、自分の体の声を聞くことを再認識されたように綴っておられます。
これらのテーマは、自分に向き合う覚悟を問うてみることにあるのではないでしょうか。
いのちは、人任せにはできません。
だったらと、自分で薬やサプリメントを探してくることでもありません。
何かに甘えるのではなく自立することで、いのちと正面から向き合うことが求められます。それは、いのち尽きるまでです。
それには、歩けるあいだは歩きましょう。いつか動けなくなる日は必ずきます。そのときに、いい人生だったと思えるのは、他人任せではなく自分で生きたというプライドではないでしょうか。
付け足しで恐縮ですが、映画『痛くない死に方』のドクター、尼崎の長尾和宏先生は「コロナの予防には歩くこと」とおっしゃっていることを申し添えます。