今日は水曜日。朝刊に池江璃花子さんのお母様のお話が掲載される日です。
どうしたら、あんなに強い精神力を持つお嬢さんに育てられるかという課題は、現在子育て中のすべてのママが知りたいところです。
うちの娘もその一人。毎週、楽しみにして読ませていただいています。
本日の文章は「自分を信じる力」という一行から始まっていました。
私自身は、そんな言葉を子育て中に考えたこともありませんでした。そんなことは誰からか教えてもらうというよりも、生育過程で自らが気づくものだと思っていました。
運動ができれば、そういう鍛え方があるように聞いていましたが、それとはご縁がなく、いわゆる帰宅部の思春期を漫然と過ごした私には、自己肯定感が育つ環境が皆無でした。ですから、子供には申し訳ないことをしました。
なぜそんなナルシストの欠片もない人間に育ったのかは、母との関係抜きには語れません。
母は七人兄弟の末っ子で、周りにちやほやされてわがままお嬢ちゃんに育ちました。
ですから、家族はその取り扱いに翻弄されました。そんな環境下では、自分を押し殺すことだけに長けるようになります。自己肯定感などとは無縁でありながら、その分だけ隠れた自我は確実に育っていきました。
どんな環境にあっても、子供は育つ。それが体験から得た私の育児でした。子ども達には気の毒なことでした。
ところが、そんな強引な子育てをしていた私に、違うやり方を示唆するように、愛いっぱいの子供が生まれてくれたのです。
彼女の子育てを見ていると、自分にはできなかったことばかりです。
自己肯定感を育てるには、最大級の愛があればよいことを教えられました。子どもたちに大好きよ、と毎日毎日話してやれば子どもは勝手に自分を好きになって、愛されている自信が自分育てになるのです。
まさに正論。そうだったんだと気づきました。
池江璃花子さんががんばれるのは、スポーツ根性ではないのだと思います。どんなときも、お母さんが見ててくれるという安心感がそうさせるのだと思います。
母と出会って我の強さをへし折ってもらい、一からの出直しにあたって、愛ある娘に巡り会う。
母娘はこうやって、誰かに仕組まれた縁で出会い、助け合いながら自分磨きをしていくものであることを実感しています。
母のために一言弁明するなら、表現はとびっきり下手でしたが愛をいっぱい持った人でした。だから、今の私がいるということに感謝です。