こころあそびの記

日常に小さな感動を

我慢はほどほどに

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 寒い朝でした。
 富士山も少し冠雪しています。

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 ある患者さんが思いあまって薬局に電話してこられました。
 先生(ドクター)が怖いという悩みです。
 やる気満々の先生が好みの人がいる一方で、静かな対応を希望する人もおられます。
 それは、十人十色、人それぞれだから、世の中は成り立っています。
 「じゃあ、先生を替えたらいいじゃないですか」と言っても、それが簡単にできないから困っているというのです。
 先生に悪い(申し訳ない)と思い悩んで、鬱になりそうな気配さえ感じられます。元気になるために、医者にかかって、心を先に病んでしまうなんて馬鹿げています。
 なのに、現在、このような人のなんと多いことでしょう。みんな、我慢強いのです。自由こそが林業期、遊業期の特権であるにもかかわらずです。
 
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 医者選びは、特に老年期には、「名医事典」などで探すのではなく、自分と相性の良い先生が一番です。
 勢いのある、やる気のある先生では、医者通いに疲れてしまいます。少し腕に自信がある先生は、自分流を押し通すところがありますから、患者さんは戸惑いながらも我慢してしまいます。
 かえって、若い先生の方が、そのあたりの教育を受けておられるかもしれません。患者といえども、人間対人間の付き合いがベースであることを。
 患者がいのちを預けようと診察室に入ってきたとき、その人の血液検査の数字だけを見てしまうのは、西洋医学を学んだ人の弱みです。
 医者が患者に与えられるのは薬ではなく優しさであると分かっていても、そんな対話時間を上手に発揮できない現実があります。
 
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 そして、患者も少し賢くならねばなりません。
 自分のいのちは自分で守ってよいのです。
 他人に任せようとするから、こんな不幸せが起こるように思います。
 自分にとっての赤ひげ先生は、どんな人かと考えてみましょう。

 老いのなんたるかが分かるようになった、おじいちゃん先生や、若くても人の話を聞いてくれる先生というのも案外いいかもしれません。
 
 医療機関は自分の方に選ぶ権利があるのです。
 今日お電話くださった方には、先生を変えてもバチは当たりませんよと言ってあげたいです。心穏やかに過ごせたらそれでよいではありませんか。
 親からもらったいのちを全う出来さえしたら、百点満点。欲張らないことです。