いました!嘘でしょう。すすきの枯れた茎にとまれるほど軽いの?考える時間を与えてくれないカワセミ。
大急ぎで写真を一枚撮った瞬間、飛び去ってしまいました。
花や星と同じで、名前と姿形を知ってしまったら不思議に遭遇の回数が増えるように思います。いつも通っている散歩道で、今朝も会えました。目の奥に残るブルーでした。
ラジオで、若手落語家日本一を決める「NHK新人落語大賞」で女性初の栄冠を勝ち取った桂二葉(かつらによう)さんが優勝報告されていました。。
その話に思わず引き込まれました。
その甲高い声は落語に向かないといわれて続けてきたようですが、だからこそ、そんな外野の思惑をはねのけるだけの努力をされたのでしょう。
ラジオでは、鶴瓶さんの押しかけファンだったこともばらしつつ、桂一門に弟子入りしたいと何度も門を叩いたのに許してもらえなかったとき鶴瓶さんが「取ったり~な」と間を取り持ってくれたあたりの話を面白く聴かせてもらいました。さすが、噺家さんです。
京都橘大学出身です。大学からのエールもインターネットに早速上がっていました。
昨晩は久しぶりに枝雀さんの「代書や」を聞きました。落語は集中力と想像力を養うツールです。なにより、お腹の底から笑えるところが最高です。
さて、ちょっとない”事実は小説より奇なり“という環境で育ったので、作り話である小説は大人になるまでパスしてしまいました。ちょっと反省。
でも、やっぱり、当人の口から直接に話してもらうほうが心動かされる癖は健在です。
さっき、部屋の冬支度をしながら、テレビを付けたら、たまたま「ガイロク」という番組が流れてきました。
町ゆく人にインタビューする番組です。
ひとりの男性が「僕が3歳の頃、父は別の家庭を持って出て行きました。父は、そのことを申し訳ないとずっと思っていたはず。でも、僕はお父さんに言ってあげたい。僕は大丈夫だよ。幸せにくらしているよ。と」
その後、男性は、癌を患ったお父さんの介護をします。
「父は、きっとまた申し訳ないという気持ちを持ったと思う。今はその気持ちを楽にしてあげたかったなと思っています」
多くの人が親に、言いたかったこと、言えなかったことを持っていると思います。
姿が見えるということは残酷なことです。見えなくなった途端に親の本当の思いと素直な子供の言葉が行き交うようになります。
親と子はいつまでも通じ合っているものだと、近頃、ますますその思いを深くしています。
やっぱり、事実は小説よりずっとドラマチックです。
事実を上手に掬い取れない者の僻みですね。