こころあそびの記

日常に小さな感動を

つくばねの嶺

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 冬休みが近づくと、「百人一首覚えなあかん!」と孫たちが言い出します。
 休み明けに、カルタ取りをするようです。
 それを、毎年のように耳にしているわりに、私自身に覚える気がないのは、王朝世界の色恋にいまいち興味が持てないからです。
 紫式部が好きか、清少納言が好きかという感じでしょうか。
 それでも、たまには、読み札を担当します。
 その声調は、小さい時のうろ覚え、おばあちゃんが読んでくれたように読んでいるつもりです。
 お正月、おばあちゃんの家に行くと、いとこたちが百人一首のカルタ取りをしていました。私はまだ小さくて、それを見て聞いていたことをうっすら覚えています。
 母の声調も混じってしまい、その後だんだん自己流になって、この変な私流の声調で読むものだと孫たちが思っていたらごめんなさいです。
 
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 先日、ピアノ教室に送っていく車の中で、孫が「僕、この歌が好きやねん」と言います。

 「筑波嶺の嶺より落つるみなの川
  恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院 」

 多分、下札が”恋“で始まるから、絶対取るぞ!と思っているのでしょう。微笑ましい中学一年生です。
 恋心がどんなものとも、まだ知らない年頃を羨ましく思ったことです。
 自分も中学生の頃、憧れた先輩がいました。懇談会で、先生から「男を見る目がある」との評価をいただいたと母が苦笑していたことを記憶しています。それは、恋ではないと分かったのはずっと後のことでした。
 
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 さて、件の歌の作者の陽成院は、その明るい名称からは程遠い人生であったようで、揉め事の多い時代であったことをお気の毒に思います。
 ブッダ孔子が悩んだことは、今の時代の人間も同じです。人間は本質的に変わっていないのに、時代の波を泳ぎきるための知恵や、逞しさの表現方法は変えざるを得ません。翻弄されないための隠れ蓑です。
 衣食住も整い、現代人はみんないい人になりました。汚れたことのない人だけで作る時代は、理想社会です。
 リーダー不在の穏やかさ。何か物足りないと思うのは例によって老婆心です。