こころあそびの記

日常に小さな感動を

母と娘

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 朝刊の「人生相談 明日へのヒント」があまりにタイムリーで、今日のために準備されてた原稿なのかと疑ったほどでした。
 相談者の老母が、厳しく育てた娘に突き放されていることを相談されていました。

 人間は悲しいことに自分しか見えない性を持っています。それは、百人中、百人なのではないでしょうか。相手に求めるばかりで、我が身の浅はかさに気づかないのが人間です。
 よく、自分が変われば相手が変わる、という言葉が使われますが、自分の変え方がわからない人に、そんなこと言っても何の効果がありましょう。
 当事者以外の他人は励まし見守ることはできても、救う力はありません。自分で自分を救うしかないのです。
 私も難しい母に仕えた経験者ですから、相談者の娘さんの気持ちも分かります。
 では、どうやって闇を抜けたらよいのか。その方法は見方を変えることだと思います。視線を逸らすのです。臭いものには蓋をする。あれです。
 確かに、その箱の中には臭いものが入っているけれど、見て見ないふりができるかどうかです。
 同時に、自分が一番気持ちいい場所を探して、心安らかになる努力をしたらよいと思います。
 
 母の立場では、娘のためにしゃにむに走ったのにそんなの納得できない。娘の立場では、そんなことしたら、バチが当たるのでは。大切に育ててくれた親だもの。と、いろんな感情が湧き上がってくるかもしれません。
 でも、そこまでこじれた親子なら、この世でけりをつけようなんて困難な夢を見ないことです。
 私は思います。輪廻転生とは、誰かが見たわけでもありません。しかし、人々がこんな考えを思いついたのには、理由があるはずだと。
 そして、私たちは現世にぽっと降りたったのではなくて、長い旅路のワンシーンをこの世で過ごしているのだということです。そう思えば救われることがたくさんあります。何故なら、ちっぽけな世界がとてつもない広がりを持つようになれば、否応なく見方を変えざるを得ないからです。
 そして、目の前に出会う人は縁ある人です。
 親子は、その最たるもので、通りすがりの人ではありません。
 お互いに人生修行をし、磨きあうのが親子です。

 回答者の「あいち熊木クリニック」院長の熊木徹夫先生のお答にそのことが見えます。
 「あなたが和解を願うなら、徹底的に娘さんの立場に立って考える。その姿勢を貫いて『遺書』をしたためる。後に彼女がそれを目にしたときの翻意という”大逆転“を祈るしかない」
 
 この世という小さい見方では、解決できないことが山ほどあります。それを無理に何とかしようと考えるからしんどくなります。
 嘘でもいいから、お荷物はまた会う日に先送りして、今の自分が身軽になるようにいたしましょう。

 雪景色にどんなに誘われても、自分を大切にいたしましょう。合掌