『賢者の贈り物』というお話を何度読んだことでしょう。
相手を思う究極のプレゼント。私には絶対できないからこそ憧れる愛の物語です。
捧げ尽くすことも愛の表現の一つ。クリスマスイブの今日、そんな人に出会いました。
あるお宅に、お薬を届けるためにお願いしたタクシーの運転手さんは如何にも気の良さそうな方でした。
道中、そんな方とお話するのは楽しいことです。
「もう長いのですか?」
「いや、2年ほどですよ。自営業を閉めてから乗り始めました」
自営業とは、何の機械か忘れましたが、何かの細かい部品で両手で掬えるくらいの量で百万円もしたそうです。なのに、親会社が中国に発注するようになって、わりに合わない仕事をやめてしまったとか。海外発注のしわ寄せが社会全体に広がっている現実を知りました。
それでも、仕事が順調だった時代には、子供3人を大学に行かせて、3人にそれぞれ家を建ててやったんです。とニコニコ元気にお話されます。
ここからは自慢話になりますがと前置きして、「孫たちは、誰の子やというくらいによく(勉強が)できるんです。中には医者になるいうて頑張ってるのもいます」と嬉しそうなおじいちゃん。
私が感心したのは、「毎日遊びに来よる。やれ、誕生日や、お祝いやと寄ってくる」というくだりです。
老後を温かなファミリーに囲まれて過ごすのは年寄りの夢です。子ども達の家は近所に建ててあげたと言えど、寄ってくるという保証はありません。
それでも、子どもが寄ってくるのは、彼が手抜きをしない心を持っていたからではないかと推察します。子育てしていた頃、「子どもはよ~く見てるよ」と先輩ママさんに教えられたものです。自分を勘定に入れない真っ直ぐな愛情であることを、子供達は見抜いていたからこその幸せな結果だと思われました。
暗いニュースが飛び交う世の中で、幸せを絵に描いたようなご家族がいらっしゃる。それが他人事であってもうれしくてほっこりしました。
そして、降り際に照れたようにボソッと言われた「神さんに見放されてなかったんやと思います」という言葉は、彼が神さまの存在を信じてきたことを表していました。
ご自身は貧しく育ったとおっしゃいます。その環境が、頑張る根性と子供を大切にすることを教えたと思うと、幸せになる秘訣は何かとあらためて考えてしまいます。
無欲で今日一日を必死のパッチで励むことが、必ず幸せに通じるというわけでもありません。それでも前を向いて、お天道様が見ておられることを信じて、自分にできることをするしかないと、彼の喜びに満ちた話しぶりから感じました。
なぜ、彼のファミリー話に引き込まれたのか。
それは、遠い昔、ある占い師に言われたことがあるのです。
「あんたのこの世の修行はファミリーを経験する事」と。
この世で何が幸せかといえば、つまるところ愛ある家で過ごすことではないでしょうか。愛することも愛されることにも不器用で、結局、この世でのステップアップは叶わずじまいになりそうな私です。
しかし、ここで不思議なことに気づきます。あの人もそうだったと。愛ある家庭というのは父が最期まで望んだたった一つの願いでありました。似たくない父でしたのに、ひょっとしたら似たもの親子だったのでしょうか。
今頃気づいたのかと、天国で鼻の穴膨らませて父が笑っているところが見えます。(笑)